2012年4月15日日曜日

未来のためのデザイン -「信じられるデザイン」展を鑑賞して-




昨日、ミッドタウンで開催されている「信じられるデザイン」展に行ってきました。
「信じられるデザインとはどのようなものでしょうか?
  そのデザインはなぜ信用できるのでしょうか?」
この問いに対して、デザインに関わりのある51名のクリエイターが、それぞれの解釈をメッセージとして寄せ、合わせて「信じられるデザイン」であるモノ・コトを一つピックアップして紹介するという内容。

多くのクリエイターの方が、「信じられるデザイン」として、「安心安全なもの」「愛着のあるもの」「定番なもの」「堅牢なもの」を挙げられていました(私の印象です)。例えば、日本の新幹線のシステム、日本メーカーのウォシュレットトイレ・体温計、昔から使っている茶碗、といったものです。たまたまでしょうが、(確か新幹線など)1つのものを2人以上がピックアップしていたケースもありました。

そんな中で、興味深い解釈をされていたのが、デザイン・コンサルティング会社Zibaのディレクター濱口氏のパネル。この方、以前このブログで論文を取り上げさせていただいた方です。実は今回見に行ったのも濱口氏がきっと新しい視点をくれるに違いないと直感的に思っていたから。

引用していいのかどうかわからないけど、パネルに書かれていた一部を抜粋。肝心のじゃあ何(モノ・コト)が「信じられるデザイン」なのという部分は直接会場に足を運んでご覧になってください。
「信じる」ということは、「信頼する・信用する・安心する」とはずいぶん違う。そもそも、確かなことや正しいことは信じなくてよい。実は「ふつうのモノ」や「かんぜんなモノ」ではなく、どこか未完成で、もしかすると裏切りがあるかもしれない「あやういモノ」こそが信じる対象となる。例えば、我々の未来はあやういからこそ信じたい。 
「信じる」には理由を超えた意思決定がなければならない。そしてそこには自由がある。敢えてあやうさを選ぶ自由。裏切られる自由。自らが失敗する自由。あやうさの先を夢見る自由。つまるところ信じられるデザインとは、ヒト・モノお互いのあやうさの上に成り立つ自由と緊張なのだと思う。 
だから「信じられるデザイン」とは「裏切られてもいいデザイン」「あやうさのデザイン」である。

「信じられる」のは「あやういモノ」であるからであるとの解釈、大変面白く思いました。他の方のほとんどがまさに「ふつうのモノ」「かんぜんなモノ」を取り上げられていたので、その対比が非常に印象的でした。

私はデザインの人ではないので偉そうなことは言えないですが、デザインとは未来を創るためのものだし、常に進化するし、完成などない。また、「信じる」という意思には使う人のモノ・コトへの能動的な関与があります(安心安全や定番はある意味で受動的です)。使う人も一体となったデザインとでも言うのでしょうか。そう考えると、濱口氏の言う「信じられるデザイン」はデザインの本質であるように思えます。

実験精神/未来志向の精神/リスク(あやうさ)に対峙する精神の大切さを改めて思い、刺激をいただきました。他にも色々な解釈がありましたので、一度見に行かれてはどうでしょうか。


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