少し時間が経ってしまいましたが、先日、東京大学のイノベーション教育のプログラムであるi.schoolのシンポジウム「融合するデザイン」に参加してきました。シンポジウムは、LG Electronicsデザインセンター長のKun-Pyo Lee氏の基調講演と、ナレッジマネジメントの第一人者である紺野登教授ら複数名の識者のパネルディスカッションが中心の構成でした。
全体を通して、特にLee氏の講演が興味深かったです。最近LGをはじめとした韓国企業は、ブランド力で欧米では上位常連になっていたり、デザイン・技術の面でもリーディングカンパニーになりつつありますが(なってる?)、そのデザイン戦略・思想の一端を垣間見ることができました。ちなみに、LGと言えば、最近この「曲がる電子ペーパーディスプレイ」が話題になりましたね。
氏の講演の中で私が特に興味深いと思った点は、元来デザインを生業にする人たちの中にあるデザインの定義や役割の変化に対する問題意識の存在です。ビジネスにおけるデザインやデザイン・シンキングの重要性がホットになってきていて、職業的デザイナーではない人たちのデザインに対する関心・理解は広がってきている一方で、このような危機感が生まれているということは新鮮でした。
具体的には、「What?(何をデザインするのか)」「by Whom/for Whom?(誰が誰のためにデザインするのか)」という2点についての問題意識が強いという印象を受けました。
(Lee氏が直接的にWhatとWhomに問題意識があるとおっしゃっていた訳ではないので、念のため)
・何をデザインするのか(What)
一言で言うと、従来型のプロダクトデザインの領域におけるデザインの余地が減ってきているという問題意識です。Lee氏は"form is disappearing"という表現を使われていました。
冗談交じりに言われていたのが、「スマートフォンのデザインの余地は背面にしかなくなってきている」というもの。確かに「スマートフォン」で画像検索するとどれも似たようなフェイスですし、薄くなっているので側面にもデザインの余地はなく、UX(ユーザー・エクスペリエンス)もアンドロイド等のOSの制約を大きく受けるため自由度はそこまで高くないということです。
また、テレビも自立型から壁掛けになりデザインできる部分が少なくなり、さらに超薄化が進むと、究極は壁に引っ掛ける電子ペーパーのようになってしまうのではないかと。このCMは現在のテレビを象徴していますね。
Thief Cleverly Steals a Thin LG Television
・誰が誰のためにデザインするのか(by Whom/for Whom)
こちらは"users are getting bigger"という表現を使われていましたが、デザインする人とされる人の役割や関係がどんどん変化してきているというお話でした。ユーザー(もはや単なるユーザーとも言えない)の声が大きくなってきていて、デザイナーが推し出すデザインで簡単に満足して従うような状況ではなくなってきたと言います。
デザインする人とされる人の関係性や役割は、時系列で下記のような変遷を遂げているとLee氏は表現されていました。(左がサプライサイド、右がデマンドサイド)
・1950年代以前
craftsmen(職人)-neighbors(隣人)
職人がよく見知った隣人にテーラーメードしていた時代
・1950年代~1970年代
expert stylist(エキスパート・スタイリスト)-consumer(消費者)
その道のエキスパートが「これだっ」と提示したものを消費していた時代
・1980年代~1990年代
observer(観察者)-user(ユーザー)
実際にモノを使う人をしっかりと観察し、そのニーズに見合ったものを提供していた時代
・2000年代以降
facilitator(ファシリテーター)-participants(参加者)
モノを使う人がそのデザインプロセスにも参加し自分のほしいモノに関与する時代
一方的にサプライサイドから出ていた左から右の矢印(→)が、デマンドサイドのニーズを吸い上げる矢印(←)になり、さらには参加型ということで相互的な矢印(⇔)になってきています。デザインへの発言力というパワーバランスの意味でも、実際にアイデアを出す役割という貢献度の意味でも、デザインが「誰によって」「誰のために」されるのかという2つの「誰」の主体が両者とも徐々にデマンドサイドに移っていることがわかります。極端に言うと、使う人が自分が使うためにデザインする、というような世界でしょうか。
・これからのデザインは(What/Whom)
では、「これから」はどうなるのか(なるべきか)。デザイナーは何をする人になっていくのか。
まず、WhatについてLee氏は、LGの一つの戦略として「融合(convergence)」を掲げておられました。Whatの一つの選択肢として、iPhoneのようにまったく新たなデバイスやインターフェースを創造するという選択肢もありますが、事業コングロマリットのLGとしては色々なデバイスやメディアを通じてユーザーの持つ情報や生活シーンをシームレスにつなぎ、より快適な生活をプロデュースするという点をコアとしていきたいというお話でした。
(ここは正直どこのメーカーも言っているような話なので、あれ急に普通な話になった??な感じでしたが。。)
また、Whomについては、これからのデザイナーは「frameworker(フレームワーカー)」であるとおっしゃっていました。キーワードは、「Crowd」「Collective」「Open」。Wikipediaやオープンソース(Linux等)、アイデアコンテストのように、ユーザー群の知恵を汲み上げる枠組みをデザインできる人が、これからのデザイナーだという話です。
少し話がそれますが、IDEOのCEOティム・ブラウン氏が最近の講演動画で、同様の趣旨のことが話されていました。ユーザーとの関係が「for」から「with」そして「by」になってきているという話です。「OpenIDEO」というユーザー主導のイノベーションプログラムもこの流れですね。また、Paul Saffoという人の言葉として、19世紀は「the industrial economy」、20世紀は「the consumer economy」、そして21世紀は「the creator economy」という言葉も紹介されていました。これは職業としてのクリエイターの時代ということではなく、万人がクリエイターであるという意味合いです。
この動画、もしよければ下記よりどうぞ。40分弱と少し長め。
Tim Brown presentation
・デザインはなぜ変化に直面しているのか
ここは講演で言われていたことではありませんが、なぜ今デザインにおけるWhatとWhomが変化に直面しているのかを考えてみると、逆説的ですが、デザインへの理解が広がってきているということが背景にあるように思います。つまり、「Why?(なぜデザインなのか)」「How?(デザインとはどのようなものか)」についての理解の広がりです。
WhyとHowについての理解が広がると、なぜWhatとWhomが変化に直面するのか。単純化して言うと、下記のような構造だと思います。
・WhyがWhatの変化をもたらす
デザインの意味や重要性が理解されると、デザインにはより本質的な役割(問題解決)が求められるようになります。表面的あるいはギミック的なデザインは淘汰され、何をデザインすべきなのかが本質的な問題として浮上してくるように思います。
・HowがWhomの変化をもたらす
デザインの方法論がより一般的になると、技術としてのデザインがいわゆるコモディティ化し、デザインを担う(あるいは理解する)人の幅が広がるように思います。
上流のWhyと下流のHowが、中間のWhatとWhomをサンドイッチしているような感じ。デザインの意義が理解され、より一般的になるにつれ、デザインの再定義の流れが加速するということは非常に面白い現象だと思います。デザイナーあるいはデザインがこれまでの役割やスコープに留まると恐らくデザインはコモディティ化してくるでしょうし、一方で、デザインが新しいステージに進む一つの機会・転機でもあるかと思います。
最後にLee氏が引用されていた進化論のダーウィンが言ったとされる有名な言葉を。(ダーウィンが言った訳ではないという説もあるらしいですが。。)
”It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent, but the one most responsive to change.”
「この世に生き残るものは、最も力の強いものでも、最も頭のいいものでもなく、変化に対応できる生き物だ」
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