2012年5月30日水曜日
ブレストのルール「Yes, AND」の功罪 -「No, BECAUSE」の効用-
アイデアを出すための一つの方法論としてブレーンストーミング(以下、ブレスト)は非常に一般的な手法です。以前は「さ、ブレストしましょう」と言いながら、それただの意見交換あるいは発言力のある人の独演会じゃないの的なことはよくありましたが、最近のデザインシンキングの流行のおかげなのか、このあたりの方法論の言語化が進んでいるからなのか、ブレストのルールと言われているものが広く知られてきているように感じます。
特に、少し前のNHK「スタンフォード白熱教室」(ティナ・シーリグ教授のやつ)の影響もあってか、「Yes, AND」でアイデアを否定せず肯定して重ねていくということが、ブレストのルールの一つとして定着しているような印象を持ちます。
■「Yes, AND」の功罪
これ実践してみてどうでしょうか。個人的には、制約や立場を取っ払って、とにかくアイデアを出しまくるという意味では一定の結果が期待できるルールだとは思います。一方で、そこで出てくるアウトプットが玉石混交だったり(特に程度の低いものが多い)、あまりにフワッとしすぎた内容だったり、ということが大抵の場合起こってしまうように思います。
このマイナスの現象の大きな要因の一つが、タイトルにも書いた「Yes, AND」の罪の側面だと思います。やってみるとわかるのですが、「Yes, AND」で意見を重ねていくと、確かに場のポジティブな空気感の醸成やテーマがハマった時のアイデアラッシュには一定の効果があるものの、上記のような残念なアウトプットに陥るケースがあるわけです。「楽しくアイデアをいっぱい出しましょう」には向くのですが、「ガチンコのやつ」には向かないというか。
■「No, BECAUSE」というアイデア
それはなぜなのか。そのなぜを考えるために、「Yes, AND」に加えて、「No, BECAUSE」をブレストに持ち込むというアイデアを紹介します。下記の記事を読んでなるほどなと思った視点です。なお、前提として、「No, BECAUSE」か「Yes, AND」かという二元論ではなく、「No, BECAUSE」「も」あっていいのではという話です。
Innovation Is About Arguing, Not Brainstorming. Here’s How To Argue Productively
下記に「No, BECAUSE」の効用を書き出してみます(全然MECEじゃないけど。。)。これがなぜ「Yes, AND」だけだとフワッとしたアウトプットになるのか、という裏返しかと思います。なお、下記は元記事に関係のない私個人的な考えですのでご留意ください。
・アイデアの「Why」を詰める
「なぜそのアイデアなのか」、論理や構造の世界にいったん引き戻す効果が考えられます。そして、またアイデアを発想する世界に振り直すという行き来を意図的に繰り返す。この作業がブレストには重要であると思います。
※この記事の中にこの論理と発想を行き来する効用をイノベーションに関する論文の抄訳の形でまとめています。
・ストーリーを強固にする
一つ目に近いのですが、「Why」を考えることでアイデアによりストーリー性や具体感を伴わせた議論が可能になります。このWhyを考える作業は、ひいては「So what」を具体的にしていく際にも非常に重要な前作業になるように思います。
・クオリティスタンダードを上げる
まずは量を求めるというのがブレストの鉄則のようなところがありますが、同時に質を高められることができればそれに越したことはありません。量を出すことは目指しつつ、「No, BECAUSE」を使うことで、もうちょっと考えようよ的なものや、普通に(論理的に)考えればそれはないよねといったものをスクリーニングしていくことができます。
・ちゃんと考える(発言に責任を持つ)
「No, BECAUSE」という反応が来うるとなると、人はちゃんと考えます。念のためですが、発言に責任を持つというのは、放言をなくすという意味合いであり、議論の鉄則である「誰が言ったかではなく、何を言ったか」を否定するものではありません。同様にNoと言う人にもその論拠が求められます。
・Noと言われた人のアイデアが深まる
人はNoと言われて初めて「じゃあ、こうしたらどうか」といった対案やアイデアの積み上げができる場合もあります。対立ではなく深めるためにNoというマインドセットです。
■「No, BECAUSE」の弊害はあるのか
恐らく出てくる反対意見としては、それではブレストの目的である参加者全員が忌憚なくアイデアを出すことができて、量を追求できるという点が損なわれるのではないかという意見が想定されます。
Noということは、発言を力づくで抑えたり、多様性を認めないということではありません。ただ威圧的にあるいはパワープレイでNoを突きつけるわけではなく、そこに合理的な理由があることが条件です。Noを「否定」「対立」ではなく、「深める」手段として捉えるという発想です。
また、これまでの延長線上にないアイデアを出すという自由な発想ができなくなるのでは、という意見も出てきそうです。ただこれもおかしな話で、これまでの延長線上にないアイデアであることと、論理的に説明できないということは同義ではなく、むしろそのアイデアを「No, BECAUSE」でプッシュバックされないレベルに昇華させることができる効用の方が大きいかと思います。
■蛇足ですが
ちなみに、ということで、マッキンゼーのブレストについての論文にも参考になる点が多いのでリンク貼っておきます。一つ一つの論点は上記の内容とは直接関係しませんが、こちらも単に「クリエイティブな議論を!」「悪いアイデアなんてない!」といった安易な掛け声に警笛をならしています。特にそのような記載はないので憶測ですが、「Obligation to dissent(反論する義務)」を求めるマッキンゼーでも「No, BECAUSE」は求められるのではないかと思ったり。ご参考まで。
他にもいくつかブレストがフワッとしたアイデア大会に終わらないためのポイントってある気がしています。またこれだというのがあればご紹介できれば。
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