2012年7月12日木曜日

シンプリシティ(Simplicity)とは -シンプリシティはシンプルに非ず-


最近、生活をなるべくシンプルにしたい(ありたい)と思っていたり(年齢のせい?)、仕事でも、例えばサービスの企画にあたっていかにシンプルな仕掛け・機能で本質的なニーズを満たせるか、ということを気にしていたりします。

シンプルにすること(であること)。デザインやサービスのインプリメンテーションにおいては、シンプリシティ(Simplicity)という言葉でよく言われているように思います。

シンプリシティ(Simplicity)を英英辞書で引くと、下記のような記述があります。
the quality of being simple and not complicated, especially when this is attractive or useful:
(Longman オンライン版より)
つまり、シンプリシティとは、単純にシンプルである(簡単、簡素である)ということだけではなく、前提として魅力的であり実用的であるということです。ここは忘れやすい。(TO:自分)

これをサービスに置き換えて考えてみると、サービスが魅力的であり実用的であるということは、ユーザーの抱える課題を解決しニーズを満たすものであることを意味すると考えられます。シンプリシティを実現することがそんなに簡単でないことがわかります。

下記は、アップルのデザイン責任者Jonathan Iveがシンプリシティに関して答えたインタビュー記事。
"Our goal is to try to bring a calm and simplicity to what are incredibly complex problems so that you're not aware really of the solution, you're not aware of how hard the problem was that was eventually solved." 
"Simplicity is not the absence of clutter, that's a consequence of simplicity. Simplicity is somehow essentially describing the purpose and place of an object and product. The absence of clutter is just a clutter-free product. That's not simple." 
"The quest for simplicity has to pervade every part of the process. It really is fundamental."
Jonathan Ive interview: simplicity isn't simple より

皆がソリューションに気付いていなかったり、解くのが非常に難しい複雑な問題にシンプリシティをもたらすことがゴールである。そして、乱雑さが排除されている状態はシンプリシティの結果であり、それ自体がシンプリシティが意味するものではない。というような趣旨かと。

また少し畑の違うところで、小説家の村上春樹はこのように言っています。

"My goal is to use simple words to tell complicated stories."
非常に簡単な言葉で、非常に複雑な物語を語りたいというのが、僕の目指していることだ。
Japan's Murakami says metaphor more real after 9/11 より


シンプリシティは決して簡単なことではない、むしろ解釈が非常に難しいテーマであると、意識すればするほどそのように思います。

シンプリシティ実現の前提には、目的(複雑なことを伝える、複雑な問題を解決する等)が存在します。これが必要条件。その上で、その問題を解決するための最善の手段(十分条件)としてシンプルであることが求められると理解できます。(よりわかりやすく伝わる、より課題が解決しやすい)

あるいは、複雑な問題そのものにメスを入れる、つまり、よりメタレベルの問題に昇華させるあるいは問題を絞り込む、ということも手段としてのシンプリシティなのかも知れません。

いずれにしても、シンプルであることが必要条件として独り歩きする状況って結構あるな、それは本来とは違うなと。シンプルにしたからと言って、So What?なものって意外と多いように感じます。

最後に、シンプリシティに並々ならぬ拘りを持っていたであろうスティーブ・ジョブズの言葉。ハーバードビジネスレビュー2012年8月号『イノベーション実践論』の記事から(原典は未記載)
ある問題に着目した時に、『シンプルきわまりない』と思ったとしよう。この場合、問題の複雑さを本当に理解しているとはいえない。単純すぎる解決策しか生まれないだろう。問題に深くかかわってみると、実はとても入り組んでいたのだと気づく。それから、手の込んだ解決策のあれこれを考え出すのだ。 
真に偉大な人物は、前進を続けるだろう。そして問題の根底にある本質を掘り起こし、美しくエレガントで、しかも効果的な解決策を考えだす。

シンプリシティ(Simplicity)はシンプルに非ず。

2012年7月4日水曜日

小説を書くこととサービスを立ち上げることの共通点 -『雑文集』(村上春樹)より雑感-


最近、通勤途中とか休日のお茶する時とかに、ちょこちょこと村上春樹の『雑文集』を読んでいます。これ『雑文集』という名の通り、著者がどこかに寄稿したエッセーとか、誰かの本に書いた後書きとか、何かの受賞記念講演とか、ちょっとした雑文が集められたものです。非常に短い文章の集まりなので、細切れな時間とかボーっと流し読みたい時とかにすごく良い。もともと村上春樹のエッセーが好みというのもある。(小説より好きかも)

で、その一つ目の雑文を読んでいて、ふとあることを思ったのでメモ。まずは、『雑文集』より、幾つか引用。
小説家とは何か、と質問されたとき、僕はだいたいいつもこう答えることにしている。「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です」と。
なぜ小説家は多くを観察しなくてはならないのか?多くの正しい観察のないところに多くの正しい描写はありえないからだ(中略)それでは、なぜわずかしか判断を下さないのか?最終的な判断を下すのは常に読者であって、作者ではないからだ。小説家の役割は、下すべき判断をもっとも魅惑的なかたちにして読者にそっと手渡すことにある。
良き物語を作るために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ。
読者はその仮説の集積を自分の中にとりあえずインテイクし、自分のオーダーに従ってもう一度個人的にわかりやすいかたちに並べ替える。その作業はほとんどの場合、自動的に、ほぼ無意識のうちにおこなわれる。僕が言う「判断」とは、つまりその個人的な並べ替え作業のことだ。
仮説の行方を決めるのは読者であり、作者ではない。物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる。

どうでしょうか。

この文章を読んで私が思ったことは、「良い作品を書く小説家と良いサービスを出す者、良い小説と良いサービスには、共通点があるのではないか」ということ。これはサービスだけではなく、製品にも言えることかも知れません。

もしかしたら、このブログでも取り上げている「人間中心のデザイン」(参考記事:人間中心のデザインの原則 -『誰のためのデザイン?』を読んで-)とか「アジャイル」(参考記事:ビジネスにもアジャイルという方法を -誤りや変化を歓迎する方法論-)とか、その辺のキーワードが頭にあるからかも知れません。

観察を重視し、ユーザーと一緒に作る感覚。ビジネスにおいて判断は流石にするんだけども、仮説の積み重ねでローンチし、ユーザーも巻き込んで判断・検証をしていく、つまりローンチがゴールではなく、そこがスタートである点。決して何も考えていないわけでも、ユーザーにおもねっているわけでもなく、そこには確固たる伝えたいメッセージや提供したい価値はある。なんだかすごく共通点がある気がします。

雑感ながら。


やれやれ。

2012年6月22日金曜日

目先・小手先の問題解決にフォーカスしていないか -『Good Product Manager, Bad Product Manager』より-

良い記事を読んだのでご紹介。

ネットスケープ・コミュニケーションズ社の元幹部で、アンドリーセン・ホロウィッツというGroupon/Facebook/Twitter/Foursquareといった名だたるテック企業に投資するVCの共同創業者であるBen Horowitz氏が、かつて(ネットスケープ時代?)書いた『Good Product Manager, Bad Product Manager』という記事。1996年のもののようだけど普遍的な内容のため一読の価値あり。

原文(英語/PDF)はこちらから。


以下、幾つか抜粋(日本語は意訳)。他にも色々なGood/Badの対比が原文にはあります。

・イケてるプロダクトマネジャー(以下、PM)は「What」をくっきり描き出す、ダメなPMは「How」に心頭する
Good product managers crisply define the target, the “what” (as opposed to the “how”) and manage the delivery of the “what”.
Bad product managers feel best about themselves when they figure out “how”.

・イケてるPMはインフォーマルに指示は出さないが、逆に情報収集はインフォーマルに行う
Good product managers don't give direction informally. Good product managers gather information informally.

・イケてるPMはレバレッジをかけられる作業をし、ダメなPMは一日中問い合わせ対応に追われる
Good product managers create collateral, FAQs, presentations, and white papers that can be leveraged.
Bad product managers complain that they spend all day answering questions for the sales force and are swamped. 

・イケてるPMは収益と顧客に、ダメなPMは競合が何をやっているかにチームをフォーカスさせる
Good product managers focus the team on revenue and customers.
Bad product managers focus team on how many features Microsoft is building.

・イケてるPMは問題を分解するが、ダメなPMは問題を一つにまとめる
Good product managers decompose problems.
Bad product managers combine all problems into one.


全般通じて、タイトルにも書いたように、忙しさにかまけて目先の(あるいは小手先の)問題解決にとらわれていないかというチェックリストになりそう。雑務がたまりにたまって肝心なことができない、火消しに追われているということは、何かが根本の部分で間違っている可能性がある。そんな時こそ、目的やゴールに改めて立ち返り、自身が近視眼的になっていないか、大局に立ってものごとを見ることができているか、自問自答する必要がありますね。

急がば回れ。日々の業務に埋もれそうになった時に立ち返る一つの材料として。

2012年6月19日火曜日

制約はイノベーションの母 -名詞ではなく、動詞で考える-


何か画期的なアイデアを出しましょう、これまでにない発想で考えましょう、といった場合に、よくやるのがまずはゼロベースで様々な規制・慣習やリソース(ヒト・カネ)の前提を「取っ払って」議論してみるというやり方です。確かに、本当にその前提は崩せないのか疑ってみる、発想が行き詰った時に一旦大きく考えを振ってみる、といったケースには非常に役立つやり方であると思います。

ただそれと実現性を無視することとは大きく異なります。実際の世界には制約が満ち溢れています。お金がない、時間がない、技術がない、資源がない、などなど。これは無視しようにも無視できません。(一定の工夫はできるでしょうが)

では、この「前提を取っ払って考える」ということの本質は何なのか。

■実際の世界は制約だらけ
実際の世界には制約が満ち溢れている、この代表例がBOP(ボトム・オブ・ピラミッド)の世界かと思います。このBOP市場にイノベーションが生まれえないのかというと、そんなことはありません。一昨年亡くなったC.K. プラハラード教授の著書『ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略』で、一躍BOP市場やそこでのイノベーションに注目が集まりましたが、制約をうまく活用(回避?)したアイデアや、場合によってはその制約があったからこそ先進国では発想できなかったようなイノベーションが生まれています。

このBOP市場における制約を超えるイノベーションの事例は下記の書籍に詳しかったです。ビジュアルも多くて読みやすい。

『なぜデザインが必要なのか――世界を変えるイノベーションの最前線』

『世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある』

一つ目の書籍に掲載されている事例はほぼこちらのサイト(英語)に網羅されているのでご参照ください。

■制約はイノベーションの母
ここで重要なのは、「制約があるからイノベーションが生まれる」のではなく、「制約があるからイノベーションを生む必要がある」という点ではないかと思います。つまり、待っていれば勝手にイノベーションが生まれるのではなく、制約を受け止めそこからプロアクティブにイノベーションを起こそうとしてこそイノベーションは生まれる、ということです。まあ当然のことではあるのですが。

この制約をうまくイノベーションに活かすという考え方、デザイン思考という文脈ですが、IDEOのCEOティム・ブラウンの著書『デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方』でも言及されています。
相反するさまざまな制約を喜んで(特に熱烈に)受け入れることこそ、デザイン思考の基本といえる。多くの場合、重要な制約を見分け、その評価の枠組みを制定するのが、デザインプロセスの最初の段階だ。制約は、成功するアイデアの三つの条件と照らし合わせると理解しやすい。それは、「技術的実現性」(現在またはそう遠くない将来、技術的に実現できるかどうか)、「経済的実現性」(持続可能なビジネス・モデルの一部になるかどうか)、「有用性」(人々にとって合理的で役立つかどうか)の三つだ。

■制約がある中でイノベーションを生むためには
ここで冒頭に言及した、「前提を取っ払って考える」ということの本質、に戻るのですが、制約の中から生み出すイノベーションにおいて非常に重要になることは、「視座を広げる」ということであると思います。これが「前提を取っ払って考える」ということの本質ではないかと。

「視座を広げる」という意味を理解するためには、『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』という書籍に紹介されていた下記の記述が良いヒントになると思います。
当時からIDEOは「名詞ではなく、動詞で考える」デザインを主張していた。モノそれ自体をデザインするのではなく、行動をデザインするという考え方だ。

「名詞ではなく、動詞で考える」とは、例えば、「冷蔵庫」ではなく「貯蔵する」で考えるということであると理解しています。モノそのものをどうするかではなく、そもそもの目的に立ち返って広い視座で問題そのものを考える。例えば、電気の通っていない(あるいは落ちがち)な地域に、ただ超低コストの冷蔵庫を持っていったところで成功するでしょうか。そこには冷蔵庫に代替する何かしらの貯蔵するもの(場合によってはコト、方法かも)が必要になるはずです。

書き終わって気付いたのですが、なんか書籍の紹介エントリみたいになってしまった。。制約が目の前にあった時、「前提を取っ払って考える」ということの本質を見失わない思考が必要だなー、ということでのエントリーでした。

2012年6月7日木曜日

エントロピーとイノベーション -『エコロジー的思考のすすめ―思考の技術』(立花隆)より雑感-


「エントロピー」という言葉をご存じでしょうか。本来は熱力学における用語ですが、平たく言うと(というか平たくしか理解していない、高校大学で習ったはずなんだけど。。)、「無秩序さの度合い」です。詳しくはこちら。

先日、立花隆の処女作『エコロジー的思考のすすめ―思考の技術』を読み、この言葉に出会いました。若干脱線すると、本書は超良書。タイトルから想像されるようなHOWTOな内容では全くなく、生態学的ものの見方を組織や経済へも敷衍して論じる内容。初版1971年ですが、全く古くありませんし、当時30歳という立花隆の知の巨人ぶりに我が身を振り返らざるを得ません。

さて、今回はこの「エントロピー(無秩序さの度合い)」についての雑感。

このエントロピーには「エントロピー増大の法則」というものがあるそうです。自然にしかり、生活に当てはめてもしかり、放置しておくとものごとのエントロピーは増大していく(無秩序さが増す)という法則です。身の回りを見てみればわかるように、コーヒーにミルクを入れれば次第にコーヒー中に溶け出していきますし、水は放っておけば蒸発して水蒸気として霧散し、部屋は放っておくと汚く散らかります。

生物に当てはめると、人間が最もエントロピーが低い生物だそうです。また高度な情報ほどエントロピーが低い、つまり人間の文明史は情報のエントロピー減少の歴史であると言います。人間、あるいは人間社会の発展は、統制・管理・集積の歴史、とでも言えるのでしょうか。

では、エントロピーは低ければ低いほどいいのか、社会やものごとは秩序立っていれば秩序立っているほどいいのか。エントロピーが低いということの負の側面として、「適応力がない」「変化に弱い」という点が挙げられるそうです。温室育ちの人間がある日突然体育会系の営業会社に放り込まれた時のことを想像してみてください。

そう考えると、一概にエントロピーを減少させる方向にだけ進む進化を全面的に良しとして良いのか、という疑問が湧いてきます。方向性の決まっている、あるいは今あるものをより良くしていく、高度化していくという中では、エントロピーを減少させる方向での進化が重要。一方、何かドラスティックな変化を生む、ダイナミックな進化を求める、といった場合にはエントロピーを”意図的に”増大させることにも意味がありそうです。このエントリで紹介しましたが、IDEOのティム・ブラウンもデザイン思考の一つのポイントとして、divergence(発散)とconvergence(収束)を行ったり来たりすることの重要性を説いています。

さて、ここで問題なのは、エントロピーを意図的に増大させたい時に、「放って」おけばいいのか、ということ。興味深いのは、組織(あるいは社会・人)は往々にして、放っておくとエントロピーを増大させて無秩序になるどころか、逆に保守化、現状維持の方向にベクトルが向き、エントロピーが減少する(凝り固まる)方向に向かうという点です。まあ「放っておく」の意味合い次第なのですが。

やはりイノベーションを生むためには、”意図的に”無秩序・発散を生む仕掛けをしないといけないのではないか、ということが今回の学び。ただの雑感で全くまとまりがないのですが。

2012年5月30日水曜日

ブレストのルール「Yes, AND」の功罪 -「No, BECAUSE」の効用-


アイデアを出すための一つの方法論としてブレーンストーミング(以下、ブレスト)は非常に一般的な手法です。以前は「さ、ブレストしましょう」と言いながら、それただの意見交換あるいは発言力のある人の独演会じゃないの的なことはよくありましたが、最近のデザインシンキングの流行のおかげなのか、このあたりの方法論の言語化が進んでいるからなのか、ブレストのルールと言われているものが広く知られてきているように感じます。

特に、少し前のNHK「スタンフォード白熱教室」(ティナ・シーリグ教授のやつ)の影響もあってか、「Yes, AND」でアイデアを否定せず肯定して重ねていくということが、ブレストのルールの一つとして定着しているような印象を持ちます。

■「Yes, AND」の功罪
これ実践してみてどうでしょうか。個人的には、制約や立場を取っ払って、とにかくアイデアを出しまくるという意味では一定の結果が期待できるルールだとは思います。一方で、そこで出てくるアウトプットが玉石混交だったり(特に程度の低いものが多い)、あまりにフワッとしすぎた内容だったり、ということが大抵の場合起こってしまうように思います。

このマイナスの現象の大きな要因の一つが、タイトルにも書いた「Yes, AND」の罪の側面だと思います。やってみるとわかるのですが、「Yes, AND」で意見を重ねていくと、確かに場のポジティブな空気感の醸成やテーマがハマった時のアイデアラッシュには一定の効果があるものの、上記のような残念なアウトプットに陥るケースがあるわけです。「楽しくアイデアをいっぱい出しましょう」には向くのですが、「ガチンコのやつ」には向かないというか。

■「No, BECAUSE」というアイデア
それはなぜなのか。そのなぜを考えるために、「Yes, AND」に加えて、「No, BECAUSE」をブレストに持ち込むというアイデアを紹介します。下記の記事を読んでなるほどなと思った視点です。なお、前提として、「No, BECAUSE」か「Yes, AND」かという二元論ではなく、「No, BECAUSE」「も」あっていいのではという話です。

Innovation Is About Arguing, Not Brainstorming. Here’s How To Argue Productively

下記に「No, BECAUSE」の効用を書き出してみます(全然MECEじゃないけど。。)。これがなぜ「Yes, AND」だけだとフワッとしたアウトプットになるのか、という裏返しかと思います。なお、下記は元記事に関係のない私個人的な考えですのでご留意ください。

・アイデアの「Why」を詰める
「なぜそのアイデアなのか」、論理や構造の世界にいったん引き戻す効果が考えられます。そして、またアイデアを発想する世界に振り直すという行き来を意図的に繰り返す。この作業がブレストには重要であると思います。
※この記事の中にこの論理と発想を行き来する効用をイノベーションに関する論文の抄訳の形でまとめています。

・ストーリーを強固にする
一つ目に近いのですが、「Why」を考えることでアイデアによりストーリー性や具体感を伴わせた議論が可能になります。このWhyを考える作業は、ひいては「So what」を具体的にしていく際にも非常に重要な前作業になるように思います。

・クオリティスタンダードを上げる
まずは量を求めるというのがブレストの鉄則のようなところがありますが、同時に質を高められることができればそれに越したことはありません。量を出すことは目指しつつ、「No, BECAUSE」を使うことで、もうちょっと考えようよ的なものや、普通に(論理的に)考えればそれはないよねといったものをスクリーニングしていくことができます。

・ちゃんと考える(発言に責任を持つ)
「No, BECAUSE」という反応が来うるとなると、人はちゃんと考えます。念のためですが、発言に責任を持つというのは、放言をなくすという意味合いであり、議論の鉄則である「誰が言ったかではなく、何を言ったか」を否定するものではありません。同様にNoと言う人にもその論拠が求められます。

・Noと言われた人のアイデアが深まる
人はNoと言われて初めて「じゃあ、こうしたらどうか」といった対案やアイデアの積み上げができる場合もあります。対立ではなく深めるためにNoというマインドセットです。

■「No, BECAUSE」の弊害はあるのか
恐らく出てくる反対意見としては、それではブレストの目的である参加者全員が忌憚なくアイデアを出すことができて、量を追求できるという点が損なわれるのではないかという意見が想定されます。
Noということは、発言を力づくで抑えたり、多様性を認めないということではありません。ただ威圧的にあるいはパワープレイでNoを突きつけるわけではなく、そこに合理的な理由があることが条件です。Noを「否定」「対立」ではなく、「深める」手段として捉えるという発想です。

また、これまでの延長線上にないアイデアを出すという自由な発想ができなくなるのでは、という意見も出てきそうです。ただこれもおかしな話で、これまでの延長線上にないアイデアであることと、論理的に説明できないということは同義ではなく、むしろそのアイデアを「No, BECAUSE」でプッシュバックされないレベルに昇華させることができる効用の方が大きいかと思います。

■蛇足ですが
ちなみに、ということで、マッキンゼーのブレストについての論文にも参考になる点が多いのでリンク貼っておきます。一つ一つの論点は上記の内容とは直接関係しませんが、こちらも単に「クリエイティブな議論を!」「悪いアイデアなんてない!」といった安易な掛け声に警笛をならしています。特にそのような記載はないので憶測ですが、「Obligation to dissent(反論する義務)」を求めるマッキンゼーでも「No, BECAUSE」は求められるのではないかと思ったり。ご参考まで。

他にもいくつかブレストがフワッとしたアイデア大会に終わらないためのポイントってある気がしています。またこれだというのがあればご紹介できれば。

2012年5月27日日曜日

アイデア創出の処方箋「バイアス崩し」 -Ziba濱口秀司氏プレゼン@TEDxPortland-


「アイデアを生み出すための始めの一歩は何か?」
「(アイデアを生み出すためには)アイデアにフォーカスしてはいけない」

んんっ?っていう感じの人も多いはず。今回紹介するTED動画のひとコマ。動画は前者の問題提起で始まり、後者の注意で終わります。

スピーカーはこれらのエントリ(その①、その②)でも取り上げさせてもらった、デザインコンサルティング会社Zibaの戦略担当ディレクター濱口秀司氏。TEDxPortlandでのプレゼンテーション。先日濱口氏が講演された東大i.schoolのイベントに参加してこのお話しのもう少し長く中身深い版を聞いたので、おさらいに持ってこいの内容。もちろん、この動画だけ見ても幾つもアイデア創出のヒントが転がっている濱口エッセンス濃縮版といった感じです。



■「0」(ド新規)からではなく「1」(バイアス)から始める
動画を見ていただければわかると思いますが、冒頭の「アイデアを生み出すための始めの一歩は何か?」に対する答えは、「バイアスを見つけそれを崩すこと」だと言われています。「0」から「1」を生む作業(ド新規のアイデア)にフォーカスするのではなく、「1」(バイアス)を見つけ崩すことにフォーカスせよという教えです。「1」というのは、人の認知バイアスであり、方法論としてのアイデア創出を考えるのであればこのバイアスの発見、崩しにフォーカスすべきと。

濱口氏はいくつかのチームに議論をさせた時に注目するのは、そこから出てくるアイデアではなくそれぞれのチームの思考パターン(バイアス)であると言われています。始めて聞いた時に、この目の付けどころは新鮮でハッとしたことを覚えています。バイアスを見つけるには、人の思考パターンの偏り、慣習、業界の常識といったところをいかに見つけ出すかが鍵になりそうです。

実はこの濱口氏はUSBメモリを開発した方(あとはサイボウズのようなイントラネットとか)なのですが、その誕生のきっかけもこのバイアス崩しであるということです。それを表現するのがこのチャート。

※「TEDxPortland - Hideshi Hamaguchi」より引用(5:09頃)

データのストレージ・移動について、データ量を横軸、データ移動の経験(タンジブル、インタンジブル ※目に見えるか、見えないか)を縦軸とした時に、業界が白色の矢印で進む(データ量も膨大になり、ネットワークを通じてデータがインタンジブルにやり取りされる)であろうというコンセンサスを持っていたのに対して、それをバイアスと捉え、タンジブル×データ量大の方向(赤色の矢印)にアイデアを持っていったというエピソードです。これがUSBメモリです。

■バイアスに着目する際に気をつけること(私見)
これは動画で言及されていることではないので私見ですが、注意しなければいけないのは、このバイアス崩しは、空白スペース(ニッチ)を見つける、単純に逆張りする、という類のものではないということです。要は何かの2軸をとって、今世の中に製品やサービスがないある象限で何かをやればそれがバイアス崩しだとする落とし穴です。

濱口氏がよくおっしゃるのが「Shiftを生むもの」です。つまり、バイアス崩しとは、現状にバイアスがあったとしてその横っちょで空白スペースをつまみ食いするという発想ではなく、新しいパラダイムにシフトするイノベーションです。ちなみに、濱口氏は「Shiftを生むもの」の基準として、そのアイデアがNewなのか、Doableなのか、Controversialなのか、という3点でも見てみるのが良いとおっしゃっています。最後のControversial(物議を醸す)というのがユニークですね。

■あとは自転車に乗る時のようにやってみること
上記は机上の理論ではなく、アイデアを生み出すための実践的なツールであると思います。ツールは使わないと意味がありません。

以前の講演で濱口さんがおっしゃっていたことに、自転車に乗れるようになる時のメタファーがあります。子供のころ、自転車に乗るために何か教科書を読んで頭で理解して自転車にまたがったら乗れた、という経験をした人はまずいないのではないかと思います。行きたい方向見る、スピードを出して漕ぎ出す、何回かこける。これで乗れるようになるわけです。Just do itだと。

動画では、じゃあどうすればこのバイアスを見つけられるかについても言及されています。すぐにでも実践できるエッセンスが多いですよ。是非動画をご覧ください。

1st step of idea creation is...
First, Break the Bias.
Do not focus on idea.