2012年3月1日木曜日

「リ・デザイン」という考え方 -既知のものを未知なるものとして再解釈する-

デザインの学びの一貫として、『デザインのデザイン』(原研哉)を読みました。本書は次のような序文で始まります。
何かを分かるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。むしろ知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアルティにおののいてみることが、何かをもう少し深く認識することに繋がる。たとえば、ここにコップがひとつあるとしよう。あなたはこのコップについて分かっているかもしれない。しかしひとたび「コップをデザインしてください」と言われたらどうだろう。デザインすべき対象としてコップがあなたに示されたとたん、どんなコップにしようかと、あなたはコップについて少し分からなくなる。さらにコップから皿まで、微妙に深さの異なるガラスの入れ物が何十もあなたの目の前に一列に並べられる。グラデーションをなすその容器の中で、どこからがコップでどこからが皿であるか、その境界線を示すように言われたらどうだろうか。様々な深さの異なる容器の前であなたはとまどうだろう。こうしてあなたはコップについてまた少し分からなくなる。しかしコップについて分からなくなったあなたは、以前よりコップに対する認識が後退したわけではない。むしろその逆である。何も意識しないでそれをただコップと呼んでいたときよりも、いっそう注意深くそれについて考えるようになった。よりリアルにコップを感じ取ることができるようになった。

うーん、確かに。確かに普段知った気になっているものも、いざそれについて意味を考えたり、解釈を述べたり、その課題を聞かれたりすると、意外と分かっていないことは多くまだまだ探求の余地があるということは実感としてよくあります。

本書では、デザインというと「新しいもの」「無から有」を創造するといったイメージを持ちがちですが、それだけじゃないよ、と言うかむしろ既知のものを見つめ直しより良い価値を再創造することがデザインですよ、という話が目を引きます。筆者はそれを「リ・デザイン」と言っています。下記に気になった箇所を抜粋。
テクノロジーがもたらす新たな状況だけではなく、むしろ見慣れた日常の中に無数のデザインの可能性が眠っていることに今日のデザイナーたちは気付きはじめている。新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じく創造性である。既に手にしていながらその価値に気付かないでいる膨大な文化の蓄積とともに僕らは生きている。それらを未使用の資源として活用できる能力は、無から有を生み出すのと同様に創造的である。僕らの足下には巨大な鉱脈が手付かずのまま埋もれている。整数に対する小数のように、ものの見方は無限にあり、そのほとんどはまだ発見されていない。それらを目覚めさせ活性させることが「認識を肥やす」ことであり、ものと人間の関係を豊かにすることに繋がる。形や素材の斬新さで驚かせるのではなく、平凡に見える生活の隙間からしなやかで驚くべき発想を次々に取り出す独創性こそデザインである。
デザインは単につくる技術ではない。
(中略)
むしろ耳を澄まして目を凝らして、生活の中から新しい問いを発見していく営みがデザインである。
ごく身近なもののデザインを一から考え直してみることで、誰にでもよく分かる姿でデザインのリアリティを探ることである。ゼロから新しいものを生み出すことも創造だが、既知のものを未知化することもまた創造である。

合わせて、そのようなデザインはデザイナーの自己表現ではなく社会やユーザーを起点にするべきものであると言います。
デザインは基本的には個人の自己表出が動機ではなく、その発端は社会の側にある。社会の多くの人々と共有できる問題を発見し、それを解決していくプロセスにデザインの本質がある。

並行して最新のCasa BRUTUSの「Appleは何をデザインしたのか!?」を読んでいたのですが、Appleのデザイン責任者ジョナサン・アイブのインタビューコメントにも似たようなクダリがありました。
どこか新しい、これまでと違うからといってそれが良いものだとは限らないのです。デザイナーとして私たちがやろうとしてきたことは新しいものや違ったものをつくろうというのではなく、ただより良く(=better)しようということです。
デザインとはデザイナーの自己表現の場ではありません。

また、デザインコンサルティング会社IDEOのCEOティム・ブラウンは下記のように言っているらしいです。(手元にメモがあるのですが、出典不明。。)
初心者であるということは素晴らしい。それは自分が知らないことを知って、驚き、不思議に思う、その差分が価値を生むからだ。

いずれも革新的な価値を提供する(と言われている)企業やデザイナーがそのような発言をしていることは非常に興味深いと思います。'Something new'ではなく'Something valuable'を生み出すのがデザインなのでしょうか。

一つ前のエントリに書いたように、結局「誰のためのデザインなのか」という問いなのかも知れません。「新しい何か」というと、「誰にとって」という対象がある種なんでもありになります。企業にとって新しい、業界にとって新しい、というのも「新しい何か」ではあります。一方で、生み出すものを「価値ある何か」と定義すると、誰にとって価値があるのかという点でそこには明確な対象(ユーザー、人間)が浮かび上がります。それが既存の価値からすると新しいことが多いため「新しい何か」にもなり得る。ここにデザインの一つのポイントがあるのかも知れません。

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