知人に紹介してもらった『Subject To Change ―予測不可能な世界で最高の製品とサービスを作る』という本を読んでいます。この本、イノベーションやデザインという文脈ですごくいいので、また機会があればポイントをまとめたいのですが、その中で出てきた「体験が製品」という言葉が印象的です。物理的なモノそれ自体だけが製品ではなく、それを見つけて検討して買って使って捨てて・・・といった一連の「体験」も含んだ全体が製品である、という考え方です。
・「体験」をプロトタイプに持ち込む
本書では、「体験が製品」という考え方において、「体験プロトタイプ」つまり体験という観点からユーザー視点のプロトタイプを作りテストすることの重要性が説かれています。これは、以前のエントリで取り上げた「人間中心のデザイン」の実践への落とし込みの一つの例かと思います。本書には、この「体験プロトタイプ」を通して処方薬保管ボトルをユーザー体験上より良くするプロジェクトについてのケーススタディが掲載されていました。大変面白そうだったので詳細をネットで調べてみましたのでご紹介。元記事は下記になります。
ClearRx Prescription System
The Perfect Prescription How the pill bottle was remade sensibly and beautifully.
このケースの主役Deborah Adlerというグラフィックデザイナーの女性は、当時薬局で処方薬を入れて患者に配布されていたボトルの小さくてごちゃごちゃしたラベルの記載が患者を誤飲等のリスクにさらしているという問題意識を持ち、大学の卒業プロジェクト('Safe Rx'という呼称)でこのボトルの改善に取り組んだということです。ここでポイントになったのはそのボトルを使用するユーザー視点での体験。このボトルは'Clear Rx'という製品名で「ターゲット」という薬局で実用化がされており、デザインが優れているということから当時ニューヨークのMoMAにも展示がされたそうです。
・「体験プロトタイプ」のケース
'Safe Rx'プロジェクトの概要をざっとまとめると下記のような感じです。(日本語訳には多少の意訳が含まれます)
【背景】
当時(というか今でも?)米国で標準的な処方薬保管ボトルは黄味がかったプラスティックボトルで、ラウンドした壁面に小さな字で説明書きがプリントがされているような状況で、何が入っていて患者がいつどのように服用すべきかが非常にわかりにくい状態だったというところが背景にあります。そんな状況が第二次世界大戦後から変わらず続いていたらしいです。実際に、当時の調査でも実に60%以上の患者が1回は他人の薬を間違って飲もうとしてしまったと答えていたそう。
【リ・デザイン(プロトタイピング)】
Before:当時の業界スタンダード
どれだけ「体験」がないがしろにされているのかを洗い出す。
- 一貫性のないラベル:各薬局で情報の表示される位置がマチマチ
- ブランディングに使われるラベル:薬品名・服用方法よりも大きく表示される薬局のロゴ
- 紛らわしい数字:説明のない数字の印字("10"というのは10錠なのか1日10回なのか)
- わかりにくい色味:オレンジのボトルにオレンジの字のような解読困難なカラーリング
- カーブした形状の読みにくさ:ラベル情報を一度に見られるようにするには狭すぎる形状
- 小さすぎる文字:細かな文字で狭いエリアにぎっしり情報が記載(読まずに捨てられるのが常)
After:リ・デザインされたプロトタイプ
Adler氏によるプロトタイプ。ボトルに日常触れ薬を服用する患者の「体験」を重視。
- 外観よりも機能:美しさを犠牲にしても、本来あるべき薬剤の名前と服用方法を記載
- カラーコーディネーション:家族全員のラベルの色を別個にし混乱を回避
- インテリジェントな有効期限通知機能:薬剤の有効期限を通知するマーカーをラベルに搭載
- ボトルの形状を変更:広くフラットな形状とし、文字が読みやすいD型(前面がカーブし後面がフラットの半円型)を採用
- 情報の添付方法の変更:これまで情報は袋に印字されていたため捨てられやすかったところを、紙のカードに印字しボトルの溝に保持できるように変更
- 文字を読みやすく:文字が小さすぎて読めない場合を想定して、薄い虫眼鏡の装備を検討
- 服用スケジュールを記載:ボトルのてっぺんに服用タイミングを掲載
【アウトプット】
Adler氏のプロトタイプは「ターゲット」という薬局の目に留まり、'Clear Rx'という製品名で実用化がされました。プロタイプは、D型(半円型)の形状が子供の安全上危ないということから上下逆さまの形状が生まれる等、より体験に基づいたブラッシュアップされたようです。結果、こんな感じのボトルに。
- わかりやすい薬剤名表示:薬剤の名前を一番目立つボトルのトップに記載
- ボトルの色をひとつのサインに:世界共通の注意喚起の色である赤色のボトルを当該薬局のサインとして採用
- 情報を階層化して表示:優先度の高い薬剤名、用量等を先頭に、優先度の低い使用期限や医師名等はサブに表示
- 上下逆の形状:通常と上下逆さまのキャップが下に来る形状で、ラベルが上部にも貼れるように修正
- 自分のボトルがわかる色の工夫.:ボトルの首の部分に家族それぞれ異なる色のラバーの輪を装着し取り違え防止
- 薬剤の詳細情報をカード化:副作用情報等の情報をカード化し、ラベルの裏に挟みこめる設計
- ユニバーサルな表記に:'once'はスペイン語で「11」を意味するため、'daily'という表現を活用
- わかりやすい注意喚起のサイン:従来のわかりにくい注意喚起(例:服用は空腹時に)を25個にわたって修正
・最後に:「体験プロトタイプ」の意味
ほぼ原形をとどめていない最終形の形状やデザイン。まさに「体験」をベースに構造物の意味を問い直すとここまで仕上がりが違うのかという結果ですね。徹底的にユーザー目線です。
また、最終形がプロトタイプとも大きく形状が変わっている点が興味深いです。プロトタイプは壊すためにある、という感じでしょうか。ユーザー視点で発想を加えたり練り直す一つの土台としてのプロトタイプの役割(たたき台があることによってアイデアが出てくるという典型)ですね。
本書には初期のPDAを開発したPalmのジェフ・ホーキンス氏のエピソードも。
製品デザイナーのジェフ・ホーキンスは同僚たちのシャツのポケットのサイズを測り、そこにぴったり入るように木製のブロックを削り出した。ホーキンスはPDAを開発中で、デバイスが簡単に持ち歩ける大きさであることは不可欠であると知っていた。
ホーキンスはどこにでもこのブロックを持って行き、誰かが口にした日付や情報をメモしたいと思ったとき、その木製ブロックにその情報を入力するまねをした。エンジニアが新しい仕組みや機能を提案すると、木製ブロックを手に取って「それ、どこに入ると思う?」と尋ねた。木製ブロックのおかげで、デバイスのデザインにも開発にも簡潔さが徹底され、チーム全員がその感触の良い体験を繰り返し気付かされた。
ここにも共通するのは、プロトタイプが目の前にあると、それを持って重さや大きさを感じてみたり、イメージを投影してみたり、使うシーンを想像したり、という行為(=体験)が生まれ、そこからリアルな発想が生まれるということなのかと思います。言い換えると、体験まで配慮した製品を仕上げるためにはプロトタイプが不可欠、ということかと。「体験」を製品に組み込むことのできるプロトタイプを通じたデザインこそ「人間中心のデザイン」の重要なヒントだと感じました。
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