2012年2月26日日曜日

人間中心のデザインの原則 -『誰のためのデザイン?』を読んで-


皆さんは下記のような経験はありませんか?

  • ドアを開けたいんだけど、パッと見て押したらいいのか引いたらいいのか、はたまた横に滑るのかがわからない
  • 蛇口をどっちに倒したり捻れば水が出るのか、温水/冷水の切り替えはどうすればいいのかわからない
  • オフィスの入り口にある電源スイッチのどれを押せばどこの電気が点灯するのかわからない
  • リモコンでプロジェクターに投影されているスライドの進行をしたいのだけど、間違ってバックしたり変なメニューが表示されたりする

これは全てそのような誤りをしたユーザが悪いのではありません。デザインが悪いのです。受け売りですが。。

一つ前のブログに書いたように、ビジネスや問題解決の文脈におけるデザインの可能性について書籍などをあたりながら考えを深めています。その一環で読んだのがD.A.ノーマンの『誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論』です。1990年ごろの古い作品ですが、気付きを多く得られる良書です。


・デザインはどうあるべきか
本書では、心理学者、認知科学者である著者が、人の認知構造も踏まえながら、デザイン(主に製品デザイン)はどうあるべきで(何がダメなデザインで)、デザインの原理原則はどのようなものであるかを論じています。筆者が主張するのは「ユーザ(人間)中心のデザイン」。まずデザインはどうあるべきかというところについて、簡単に言うと下記の2点を確実に守ることであると言います。
  • ユーザが何をしたらよいかわかるようにしておくこと
  • 何が起きているのかをユーザにわかるようにしておくこと

もう少し分解して整理すると、デザインは下記のようにあるべきであると言います。
  • いついかなるときにも、その時点でどんな行為をすることができるのかを簡単にわかるようにしておくこと
  • 対象を目に見えるようにすること。システムの概念モデルや、他にはどんな行為を行うことができるか、そして、行為の結果なども目に見えるようにすること
  • システムの現在の状態を評価しやすくしておくこと
  • 意図とその実現に必要な行為の対応関係、行為とその結果起こることとの対応関係、目に見える情報とシステムの状態の解釈の対応関係などにおいて、自然な対応づけを尊重し、それに従うこと

本書は基本的に製品や狭義のシステムのデザインを念頭において書かれているように思いますが、上記は広義のシステム(例えば、医療システムのような社会システム)にも当てはまるような気がします。


・デザインの7原則
では、そのような課題に対してデザイナーはどのように取り組めばいいのか。著者はデザインの7つの原則として下記を挙げています。
  1. 外界にある知識と頭の中にある知識の両者を利用する
  2. 作業の構造を単純化する
  3. 対象を目に見えるようにして、実行のへだたりと評価のへだたりに橋をかける
  4. 対応づけを正しくする
  5. 自然の制約や人工的な制約などの制約の力を活用する
  6. エラーに備えたデザインをする
  7. 以上のすべてがうまくいかないときには標準化をする

少し具体的に一つずつ見ていきたいと思います。少し長くなります。

1. 外界にある知識と頭の中にある知識の両者を利用する
人は自身の頭の中にある知識が不正確であっても正確な行動をとることができます。例えば、PCのキーの配列を書けと言われても書けませんが、日々ブラインドタッチで仕事をしていたりします。これは逆に言うと、人間は全ての知識を頭に詰め込むことはできないということであり、その限られた情報量の中でいかに外界の情報を活用しうまくモノゴトを進められるようにデザインできるかということでしょう。

本書では、知識が不正確なものであっても正確な行動を行うことができる4つの理由を挙げています。どれも納得。これぞデザインの領域かと。
・情報は外界にある
ある課題を行うために必要な知識の多くは外界に存在しうる。行動は記憶にある情報と外界にある情報を組み合わせることによって決定される。 
・極度の精密さは必要でない
知識の精密さ、正確さ、完全さはめったに必要とされない。正しい選択肢を他のものから見極めるのに十分なだけの情報や行動を知識から引き出すことができさえすれば、完全な行動をすることができる。 
・自然な制約が存在する
外界の制約が許される行動を決める。どういう順序で部品を組み合わせるかとか、そのものがどのように動かされたり、つかまれたり、あるいはその他の操作をされたりするのかの可能な操作の範囲は、そのものの物理的な特徴によって制約される 
・文化的な制約が存在する
自然にある物理的な制約以外にも、社会的な行動として何がふさわしいものであるかを決めるためのさまざまな人工的な慣習が社会の中で発達してきた。これらの文化的な慣習は学習しなければならない。けれども、一度学んでしまえばさまざまな状況に適用することができる。

著者は、人は「ofの知識(事実についての知識)」と「howの知識(手続きについての知識)」という2種類の知識を使って活動していると言います。前者は文章にするのも容易だし、教えるの簡単。後者は意識下の暗黙知であり、言語化が難しくやってみせることによって教え、やってみることによって学ぶのが一番、という特徴をそれぞれ持っていると。

手続き=マニュアルではありません。現にPCキーの打ち方(並びの習得)をマニュアルを見て覚えた人がどれだけいるでしょうか。後者の「howの知識」については特に、外界の情報をうまく活用し、経験や学びを加速させる環境を作り上げるデザインの領域なのでしょう。

2. 作業の構造を単純化する

デザインの要諦として挙げられていた「ユーザが何をしたらよいかわかるようにする」という点に大きく関係するようになると思いますが、同じアウトカムや目的であるならば作業をシンプルにわかりやすくということかと思います。

作業の構造が単純でありユーザーが何をしたらよいか一目で分かるということ、Appleのデザインを一手に担うジョナサン・アイブも下記のように述べています。最新のCasa BRUTUSの「Appleは何をデザインしたのか!?」でのインタビューコメントです。
本当にシンプルなプロダクトというのは、 明瞭かつ秩序ある方法でそのものが何であり何に使われるものなのかを伝えてくれるものだと思います。 シンプルさは透明性をもたらし、透明性を持っていてこそ美しいのです。 シンプルであるということはとても難しい。 それは私たちにとっても終わりなき探求なのです。
私たちは、ほかの方法を取るのが不可能であり、完全に必然性があるといえる、本当にシンプルなプロダクトを作りたいと思っているのです。

さて、本書では技術を使った4つの簡単化について書かれていましたのでメモ。見た目のシンプルさもそうでしょうがユーザーの目線でその作業や行動をよりシンプルにしてあげるというコンセプトです。
  1. 作業は以前と同じままで、メンタルエイド(思考・記憶上の手助け)を利用できるようにする
  2. 技術を使ってこれまで目に見えなかったものを目に見えるようにし、その結果としてフィードバックや対象をコントロールする能力を向上させる
  3. 作業は以前と同じままで自動化を進める
  4. 作業の性質自体を変更する

3. 対象を目に見えるようにして、実行のへだたりと評価のへだたりに橋をかける
これは「可視性」という考え方で、人が操作するときに重要な部分は目に見えなくてはならない。また、それは適切なメッセージを伝えなくてはならない、という原則です。例えば、押してあけるドアならば、どこを押したらいいのかを自然に伝えるシグナルをデザイナーは提供しなくてはなりません。下の2つの写真を見て、どこを押したらよいかわかりやすいドアはどちらでしょうか。(ちょっと見えにくくてすみません。。)


「可視性」はそのものをどのように使うことができるかを決定する最も基礎的な特徴であり、著者はこの可視性が備わっており、特別意識しなくても自然に解釈されるデザインを「自然なデザイン」と呼んでいます。下記の言葉が象徴的です。
単純なものに絵やラベルや説明が必要であるとしたら、そのデザインは失敗

4. 対応づけを正しくする
これは、個人的には3の対象の可視性と区別が難しいと思っているのですが、あるものを見てこう操作したい(できそう)と思ったことがストレートにイメージどおりの操作としてできるか、何をしたらどのような変化や反応がありそうか一目でわかるか(実際にそうなるか)といったインプット/アウトプットの対応づけがうまくなされているかということです。筆者は対応付けのポイントとして下記の4つを挙げています。
  1. 意図とその時点でユーザが実行できる行為の関係
  2. ユーザの行為とそれがシステムにおよぼす影響の関係
  3. システムの実際の内部状態と目で見たり聞いたり感じとれたりするものの間の関係
  4. ユーザが知覚できるシステムの状態とユーザの欲求・意図・期待の関係

わかりやすい例が、プリウスのエンジン音だと思います。プリウスはエンジン音がかなり小さく無音に近いですが、あえてエンジン音を人工的に出すようにしていて、それによって無音が招く不慮の事故を回避するということをしています。これは「エンジン音がすれば車が来る」という人間の意識にある対応付けを実現している例かと思います。

他にも、例えば自転車のギアはどちらが前輪後輪でどっち側に押せばギアが上がるのか下がるのかわかりにくかったり、複数コンロの場合どのツマミを回せばどのコンロの火がつくのかわかりにくかったりというのも、この対応付けの問題に相当します。個人的には商業施設のトイレにある多目的ルーム、内側から閉じるボタンを押しても通常のドアのように鍵がかかった感がないので、いつも不安になるんですよね。。

5. 自然の制約や人工的な制約などの制約の力を活用する
デザインにおいては、やれることをいかにわかりやすく伝えるかだけではなく、やれないこと(制約)をいかにうまく活用するかということも重要になってきます。制約をうまく活用することで、その製品で本来してほしいことやれることを最大限にレバレッジすることが可能になります。例えば、ハサミの指を通す穴は二つあり(場合によっては大小があり)、他の指を当てる部分の窪みがあったりしますが、これもどのように持ってもらうことが一番ハサミを有効に使えるかを誘導する一つの制約であると言えます。

この制約について、筆者は大きく4つの制約がありうると述べています。
  1. 物理的な制約
  2. 意味的な制約
  3. 文化的な制約
  4. 論理的な制約

何かものごとを行う際に、これらの制約がどのように効いてくるかというわかりやすい例として、警察のオートバイのLEGOブロックを組み立てる際に、人はこれらの制約をどのように活用しているのかがありましたので、ご紹介。
1. 物理的な制約:
大きな突起は小さな穴に差し込めない。オートバイの風よけは、一つのところにそれも一定の向きにしかつけられない。 
2. 意味的な制約:
オートバイに乗る人は必ず前向き。風よけはその役割から乗り手の前。 
3. 文化的な制約:
赤いライトは普通後ろ、白や黄色はヘッドライトが普通なので前。 
4. 論理的な制約:
もう一つよく位置づけのよくわからない青いライトがあったとしても、論理的に残りの一つの枠にはまる。

6. エラーに備えたデザインをする
幾ら万全にデザインをしても、製品を多くのユーザーが使うとなると何かしらイレギュラーな使い方をされたり、思わぬエラーが起こったりするものです。そこまで想定した設計をするのがデザインであると言います。例えば、何かコピー機でコピーやスキャンをした時に原本を忘れるということをした人は多いでしょう。このエラーをどのように防ぐのかといったことまで含めてデザインであるということです。

エラーに備えたデザインをするとはどういうことか、4つのすべきことを抜粋します。
  1. エラーの原因を理解し、その原因が最も少なくなるようにデザインすること。
  2. 行為は元に戻すことができるようにすること。そうできないとしたら、元に戻せない操作はやりにくくしておくこと。
  3. 生じたエラーを発見しやすくすること。また、それは訂正しやすくしておくこと。
  4. エラーに対する態度を変えてみるべきだ。それを使っている人は作業をしようと試みているのであって、そのために不完全ながら目標に少しずつ近付いてきているのであると考えてみること。ユーザーがエラーを犯していると考えるべきではない。ユーザーの行動は望んでいることに少しでも近付こうとする試みであると考えること。

7. 以上のすべてがうまくいかないときには標準化をする
最後の手段として、ユーザーの行為やシステムの配置や表示を標準化し、国際的な標準を作成します。例えば、キーボードの配列、交通標識や信号、測定の単位(メートル等)、カレンダーといったようなイメージです。但し、標準としての合意を取るコストが大きくかかりますし、どの時点で標準化するかという点も問題となります。


・人間の行動やスタイルを導くことがデザイン
総じてみると、シンプルですが、ユーザーがその製品を一目見て何をしたら良いかわかること、何が起きてるかわかることが、デザインの根幹を担うということがわかります。マニュアルではなくデザインだけでその製品の全容がわかるということだと思います。筆者が主張するのは、「ユーザ(人間)中心のデザイン」です。

本書に一つの面白い例が紹介されていました。文章を書く方法が文章のスタイルにどう影響するかという話です。はるか昔、羊皮紙の上に羽ペンとインクで書いていたころには訂正が困難なので、事前に注意深く考えられ推敲が重ねられるため、できあがった文章は長くて修辞を尽くしたものであったと言います。これがより訂正が簡単な紙やペンが登場すると、文章作成もずっと手早くなされ十分に注意深く考えた上のものではなくなり、日常の会話により近いものになった。更にはPCでのタイプともなると思考の速さに記述がほぼ追いついていくことができるため、また違った文章のスタイルになってくるだろうということです。

このように、デザインや用いる技術によって良くも悪くも人間の生活のスタイルが変わります。人の行動やスタイルを導くことがデザイン、と言い換えることができるかもしれません。それだけに、一層「ユーザ(人間)中心」で考えることがいかに重要かということなのでしょう。

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