2012年2月23日木曜日

「神は細部に宿る」は正しく使おう -「言葉」の持つ誤ったことを正当化してしまう怖さ-


「神は細部に宿る」という言葉。出典は諸説あるそうですが、建築とかそっち方面の言葉のようです。

これ本来は、「大きな目的・ゴールの達成のためには、(その重要な構成要素・手段である場合)ディテールにも拘らないとその高次での達成は難しい」というような意味だと思っているのですが、なんだか細かくチェックすることただその行為を「神は細部に宿る」といった言葉で正当化するような場面に出くわすことがあります。

私は目的を外れた、あるいは外れていなくても他に目的達成に重要なことがある場合、細かくあることは逆に悪であるとも思っています。ということで、なぜ目的に外れた細かさの追求がされてしまうのか、考えてみました。下記のようなところが主だった要因かと思います。

・サイロに陥っている
サイロとは家畜の飼料や穀物などの貯蔵庫を意味し、「窓がなく周囲が見えない」ことから、外部との連携を持たずに自己中心的で孤立している様を表します。「木を見て森を見ず」と言ったほうがわかりやすいかもしれませんが、全体像が見えない中で何か一つのことに盲目になることは、優先順位を付けるということをできなくさせます。

・全てのものは有限という認識不足
時間、金、その他リソース、全て有限です。無限なのであれば幾らでも細かさを追求することは自由ですが、ことビジネスにおいては有限のリソースの中でいかに目的を達成するかが重要です。

・スピードという新たな質への理解の欠如
細かさを追求する人と議論をすると大抵「質」の話が出てきます。ただその質の議論は非常に一面的であって、昨今のビジネス環境においては「スピード」という新たな質の存在を忘れてはいけません。

・手段の目的化
これは過度の専門化が進んだ人や部門に良く見られる傾向かと思います。多分それをやっている人たちに職人としての誇りこそあれ悪気はないのでしょう。

・評価指標の取り違え
細かく何かを突きつめてやってみた・チェックしたということで、あたかも仕事をちゃんとやりましたというアピールをするケースです。プロセスを軽視するわけではありませんが、やはり仕事は第一に目的に対するアウトカムで評価されるべきです。

・限界効用逓減の法則への理解の欠如
「限界効用逓減の法則」をWikiから引用すると下記。細かさを追求したところで追求すればするほど「一細かさ」当たり得られる効用は逓減します、という話です。特にオペレーティブなことで細部に拘る人に、これへの理解のなさがあるような気がします。
一般的に、財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分(限界消費分)から得られる効用は次第に小さくなる、とする考え方。
(中略)
分りやすい具体例をひとつ挙げれば、普通、最初の1杯のビールはうまいが、2杯目は1杯目ほどうまくない、3杯目は2杯目ほどうまくない。このように1杯目、2杯目、3杯目となるほど、ビール(財)から得られるメリット(効用)は小さくなる。

・2:8の法則への理解の欠如
あまりにも一般的な言葉なので説明はしませんが、程度はあれ、これは仕事にも当てはまること。細かさに拘る以前に、大きな方向性は既に決着していることが多いです。

・クイック&ダーティーの考え方の欠如
クイック&ダーティーに高頻度で仮説検証を繰り返すという仕事の仕方への理解のなさです。なんの仮説もなく、とにかく細部に拘ってうんうん唸った挙句、成果物出してみたら目的とずれていましたということはよくある話です。


念のため言いますが「神は細部に宿る」という言葉は正しい理解においては、本当にその通りだと思います。ただ、言葉というのは人を動かす力を持つと同時に、誤った使い方をすると非常にミスリーディングで誤ったことも正当化してしまうような怖さも持ち合わせていますね、という話でした。まあ、時に人のことを言えない訳なので、自戒もこめて。

2 件のコメント:

  1. 「隘路に陥る」では?

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  2. 拝借してツイッターの私のTLにあげせていただきました。
    細部に拘ったあげく消耗して完成できなかった経験おおありなので参考にさせていただきました。ありがとございます。

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