2011年9月28日水曜日

オープン・イノベーションの進んでいる領域とそうでない領域 -アカデミアの視点から-

以前、製薬業界におけるオープン・イノベーションが始まっていることに関するエントリーを書きました。提携型と公募型の2つのスタイルが模索されているようでした。

オープン・イノベーションの進化 -P&Gや製薬業界を例に-

本日(2011年9月28日)の日刊薬業で、これに関連するような日本製薬工業協会手代木会長の発言が取り上げられていました。

手代木会長は、日本や欧州では製薬企業が70%以上のシーズを発見している一方、米国では半数以上がベンチャーやアカデミアの研究から開発されていると説明。日本でのトランスレーショナルリサーチの現状については「『入り口戦略』が非常に大きく問われている。基礎から臨床への橋をどうやって架けていくかが喫緊の課題」との認識を示した上で、今後の新薬開発にはアカデミアやベンチャーと製薬企業が連携する重要性を強調した。

「製薬企業が70%以上のシーズを発見している」ということは、創薬力という意味でポジティブに捉える見方もあるでしょうが、全体のシーズ数(母数)が落ち込んでいる、あるいはもっと母数を増やす必要があるのであればネガティブに捉える見方もあるかと思います。(恐らく後者だと思いますが)
日本では米国に比べて「オープン・イノベーション」というものが、まだ黎明期であるということが窺えます。

ただ、日本でも30%のシーズはアカデミアやベンチャーから出ているわけです。では、この30%全てが製薬企業の「オープン・イノベーション」的なアカデミアと企業とのコラボレーションに繋がっているのでしょうか。


少し話は飛びますが、先日TwitterのTLを見ていたら、理化学研究所で網膜再生医療研究をされている高橋政代先生(@masayomasayo)のつぶやきに、この話に関連する話題が出ていました。

研究者の私がマーケットなんて言う理由は、ESから網膜色素上皮細胞ができてこういう治療に使えますよと初めて示し、何百回と講演しお願いしても日本の企業は動かず、結局米のACTが世界を抑えようとしている。結局自分で動かなくちゃだめなんだと分かったのでベンチャーを作った。←今ここ

作った動機はACTよりよい治療(コストも含めて)を作れると思うから、世界で1番なんて唱えて(応用研究なのに)いつまでも税金を使いたくないから、そしてラボは次のシーズ(視細胞移植etc.etc)にシフトしたいから、再生医療産業なんて唱えても事業化しないと無理だから。

ACTというのは米国のアドバンスト・セル・テクノロジー社のことで、ES細胞の領域で実用化に向けて米国や英国で次々と臨床を始めているリーディング企業です。要は、シーズの実用化の方向性も、その有用性も示すことができているのに、(恐らく製薬?)企業が動いてくれない(なので自ら事業化を進める)ということのようです。

このように、企業がオープンイノベーションを唱えて舵切っているように見える一方で、研究サイドからは企業が動かないという声が聞かれています。N=1ですが、前述の30%の中にも、企業が拾っているものと、そうでないもの(アカデミアが自らベンチャー等で事業化しているもの)がありそうだということが読み取れます。

企業が動く場合とそうでない場合、このギャップは何だろうと思うわけです。意思決定のスピードに欠ける大組織ならではの問題か、リスク回避の姿勢か、それとも口ではオープンと言いながらNIH(not invevted here)症候群なのか。。

仮説としては、「領域の成熟度(習熟度)」という点はあるのかなとは思います。上記の例もES細胞を活用した再生医療という新しい(これからの)分野ということで、リスクは高く、検討に時間はかかるし、なじみがないため自分たちはあまり首を突っ込めない(口を挟めない)。一方で、領域が成熟(自分たちが習熟)しているのであれば、ある程度スピーディーに自分たちがコントロールできる範囲で進められるというわけです。

そういった意味で、アカデミアのシーズアウトから事業化に成功した中で、大企業と組んで成功している事例(いわゆるオープン・イノベーション)と、研究サイドが自ら資金調達しベンチャーを立ち上げて成功した事例と、どちらが多いのだろうかというのは気になります(知財ファンドみたいのが絡む例もあるでしょうが)。

別にどちらが良い悪いということではないので、その2つの方向性があってしかるべきだろうと思います。ただ、この2つでは成功要因が全く異なる気がするので、アカデミアとしては早期の方針見極めが肝要なのでしょうね。

2011年9月26日月曜日

「ビジネス」がタブーとされる世界 -芸術における起業を例に-

「事業」という言葉。辞書を引くと、「生産・営利などの一定の目的を持って継続的に、組織・会社・商店などを経営する仕事」とあります。「ビジネス」とも言い換えられるでしょうか。現代において、ものごとの成果を上げるために必要な要素であると思います。

しかし、世の中にはこの「ビジネス」の進入を頑なに拒む領域(というか一部の人・組織)があります。「XXにビジネスはそぐわない」「XXにお金の話を持ち込むなんてけしからん」といった類のものです。

このXXに当てはまる一つの代表例が「芸術」です。この芸術の領域に「ビジネス」を取り入れ成功された人として、村上隆氏には以前から興味がありました。芸術そのものにはなんの造詣も(もしかしたら興味もほとんど)ないのですが、「XXにビジネスはそぐわない」という通説をどのように突き崩せるのか、という事例に興味があり、氏の『芸術起業論』を読みました。

氏の作品や功績あまりにも有名で私が紹介するまでもないわけですが、素人目にも(日本ではどうかという点はありますが)世界で認められ成功を収められた芸術家の数少ない一人なのではないかと思います。成功の尺度の一つとして、「ビジネス」的に成功したというものがあることは間違いなく、もしかすると従来の「芸術」とは異なるのかもしれません。
一方で、同じ「ビジネス」を取り入れたということから、各方面からその手法や考え方に対する批判が集まる人でもあります。ここでは具体的に紹介しませんが、賞賛・批判ともにググればすぐに色々と出てきます。

この両面からの評価が表すように、氏のやってきたことは立場の違いによって、破壊とも捉えられますし、革新とも捉えられます。いずれも「ビジネス」が共通項です。

本書では、そんな氏の、現実主義者、分析家、セールスマン、ストラテジストといった側面が見てとれます。
氏が芸術の世界で取り入れた視点や考え方は、芸術と同様に「ビジネス」の進入を拒む領域において、エッセンスとして非常に重要なものであると思います。個人的な解釈ですが、下記にそのポイントをまとめます。
(抜粋ではなく解釈を入れた要約であることにご注意ください)

1.競争のルールを理解する
競争の存在が前提ですが、誰がルールセッターなのか、どのようなルールなのかを見極め、その中で競争を行い最高の芸を見せること。「自由に作りなさい」からは無責任な作品しか生まれず、美術の本場に「ルールの違う戦い」を挑むことになる。

2.業界構造を知る
業界における現状のお金の流れをまずは全面肯定して内部に入り込み、当事者になる。懐に入り込み敵の弱点を探す。

3.市場の目による批評を受ける
本当の批評は創造を促す。客観的に作品を判断する批評こそが、価値観の違いを乗り越えて理解してもらうために必要なこと。

4.顧客(ニーズ)ありき
芸術は社会と接触すること、鑑賞者がいることで、はじめて成立する(自己満足ではない)。クライアントのニーズを汲み取り、相談や調査をもとに作品を進化させることは創造性を妨げないし、クライアントの要望に応えるためには分業制もとる。

5.顧客の価値観の多様性を受け入れる
西洋社会と日本社会では金持ちの桁が違い、価値観も当然ながら違うという現実を受け入れる。本来ならばわかりあえない人たちとどのように深く濃く交流していくかを考える。

6.ポジショニングを明確にする
自分自身のアイデンティティを発見し、欧米美術史および自国の美術史の中でどのあたりの芸術が自分の作品と相対化させられるのかをプレゼンテーションする。欧米の美術の世界特有のルールの中で自身の立ち位置を見出す。

7.価値は物語とプレゼンテーションで高める
現代美術の評価の基準はルールの中での「概念の創造」。それだけに、言葉を重視し、金銭をかけるに足る物語がなければ作品は売れず、売れなければ西洋の美術の世界では評価されない。ゆえに文章には最大限気を配るし、原稿の翻訳をしてもらう人も慎重に選ぶ。。

8.コミュニケーションを最大化する
自分の作品が理解される窓口を増やすために、自分や作品が見られる頻度を増やすことを心がける。媒体に出る、人にさらす機会を増やす、大勢の人から査定をしてもらう。

9.ブランディングする
個人史、人生をブランド化する。ゴッホにしてもピカソにしてもウォーホールにしても彼らを説明する文脈であるサブタイトルが重要。作品に価値を乗せる。お客さんが消費するには、幹だけでなく枝葉が必要。

10.手段は目的に従う
芸術の核心は「芸術をやる目的」にあり、これがなければどんな技術も役立たない。日本の美術教育はこの目的の設定がすっぽりと抜けており、「(教授が着目した)主観的な歴史を学ぶこと」と「航海がはじまった時に必要な技術を学ぶこと」に終始している。

11.マネジメントをする
クリエイティブを促すためにアメとムチをを使った人のマネジメント。集団で作り上げる工程のマネジメント。新しいものや正しいものを作るためには実験と失敗の仮説検証のマネジメント。わがまま放題のお客さんマネジメント。全てにマネジメントが必要。

12.お金で時間を買う
芸術制作には資金が必要。金銭があれば、制作する時間の短縮を買える。芸術家も一般社会を知るべき。

13.リスクをとる
チャンスがある時に、作りたいものを自分の判断と責任で作れるようにする。経済的なバックアップが止められたら作れなくなるという状況を回避する。

14.強みをレバレッジする
日本の頼るべき資産は技術で、欧米の頼るべき資産はアイデア。日本は技術がある(教育でデッサンに執着するため、総じて絵が上手い)ので低価格でいいものができる基盤がある。これをうまく運用すべき。

15.人の知恵をレバレッジする
芸術家一人で作るしかけには限界があるため、大勢の人間の知恵や助言を集める。


改めて書きますが、これらには賛否両論があるところで、当然ながら「ビジネス」を取り入れた負の側面というものもあるとは思います。ただ、ネガティブチェックだけをしているのではなく、それをやらないことによる「機会コスト」も十分に考えるべきであるように思います。

同じように「ビジネス」の進入を頑なに拒み、上記の考え方や視点がすっぽり抜けている人や組織が存在する業界というのはあるように思います。私は上記で挙げたポイントを一つずつある業界のある機関に当てはめて読み進めましたが、うーん。。

そのような業界や組織では、現行のやり方の中で、解決すべき多くの課題や市場としてのポテンシャルに対して、人材や資金や技術をフルに活用できているのでしょうか。できていないとすると、どうすればいいのでしょうか。

芸術の世界において、村上隆氏は欧米で認められた後に日本で認められる「逆輸入」という形で一つ風穴を開けました。同様に閉鎖的な業界においても、結果の説得性という観点では、欧米での(他人の)先進事例を単に持ち込むのではなく、日本人・企業が事例を海外(もしかしたら後進国でもいいかもしれません)で作りそれを持ち込むということが一つの可能性なのかも知れません。

2011年9月24日土曜日

患者向けヘルスケアサービスの難しさ -患者に対価や参加を求めることのハードル-

先日(と言ってもだいぶ前)、Google Helthがサービス停止となり話題になりました。(リリース記事

ICT(※)を活用したヘルスケアサービスに限定した話になるかもしれませんが、日本における患者向けのヘルスケアサービスについても、大きく成功しているサービス・企業はあまりないように思いますし、幾つかのサービスについて知人に現状を(断片的に)聞くと、その運営の難しさを感じます。

※ICT:Information and Communication Technology(情報通信技術)の略であり、今日の医療系サービスのほとんどがこのICTになんらか関係していると思われ、製薬会社の新薬開発過程から病院での検査・治療システムまで多くの分野に活用されています。(ICT参考解説

そもそも、ヘルスケアICTの市場はどのような実態なのか、KDDI総研の「米国医療ICT動向と期待のベンチャー(PDF)」によると下記のような規模感のようです。残念ながら日本の市場規模は明記されていないのですが、グローバルでは市場は成長していることが窺えます。(一方で米国のシェアが上がるということは日本のシェアは不変もしくは減少というニュアンスも窺えます)

世界の医療ICT(Healthcare IT)市場は2008年で110億ドル、2015年には240億ドル(年成長率11%)と推計されている。そのうち、最大の市場が米国である。上記の世界市場のうち、2008年では米国が37%を占めるが、2015年には48%までシェアが上昇すると見られている。

また、この領域が「これから」の市場であると考えますと、ベンチャーが担う部分が大きい市場かとは思うのですが、同資料によるとベンチャーへの投資の見通しは下記のような状況です。市場関係者からの期待感も大きいようです。

Dow Jones VentureSourceによると、医療ICT分野へのVC投資額は、2009年の3億8800万ドルから2010年には4億6000万ドルと19%増加している。また、National Venture Capital Association (NVCA) と Dow Jones VentureSourceによるベンチャーキャピタリストへのアンケートでは、回答者の77%が、2011年に医療ICTへの投資を増やす計画と回答している。

では、医療ICTと言っても、一体どのようなビジネスが多いのか。これを見る限り、冒頭に提起した患者向けサービスはなかなか立ち上がらない・根付かない現状が窺えます。

医療費高騰を抑えるための根本的な対策は「予防医療の充実」および「健康的なライフスタイルの奨励」ということが諸方で叫ばれており、モバイル機器を利用して在宅ヘルスケアができるのでは、と期待する向きも多い。しかし実際には、「病院・開業医」と接点がない予防医療は保険の対象にならず、また予防医療は面倒で、消費者が自己負担してまでやろうとはなかなか思わないものだ。
(中略)
このため、ベンチャーや新技術の活躍が見られるのは、現在のところ、下記のようなニッチ分野となる。
  1. 病院向けの周辺機器・ソフト(タブレット、病院構内用通信機器、移動情報ターミナルなど)
  2. 医師向け意思決定サポートや、開業医向けなどの比較的小さいシステム(クラウド型電子カルテ、オンライン・アポイントメント管理システム、スマートフォン向け医療情報データベースなど)
  3. 手術後在宅ケアのためのシステム(スマート錠剤システム、遠隔心臓モニターなど)
  4. その他の在宅ヘルスケア、介護者サポート、医療情報サービスなど

また、別の出典によると、下記のような状況のようです。
出典元>>HealthTech FAIL: Lessons For Entrepreneurs From Health Startups Gone Awry:Tech Crunch

「2011年に資金調達したヘルスケアテックのうち、B2Bが51%、B2Cが29%、B2Drが20%。77%のベンチャーキャピタルが2011年にヘルスケアテックへの投資は増えると予想しており、既に35社が200万ドル以上を調達。ただしその80%はB2Bの企業。」

こちらもB2Cつまり患者向けの難しさを見て取ることができます。
この記事には「なぜ患者向けサービスがうまくいかないのか」というところも幾つか記載されていますが、個人的には、「患者にお金を払ってもらうこと」と「患者に色々と情報を入力してもらうこと」が特に難しいポイントではないかと思っています。「対価や役務の見返りとして患者にとってどのような嬉しいリターンがあるのか」という、モデル作りがまだ弱いということなのではないかと思います。

「患者にお金を払ってもらうこと」は言い換えるとユーザー課金であり、これは患者向けサービスならずとも、消費者向けサービスの中でも難しいポイントの一つです。広告モデルが氾濫している中で、例えばソーシャルゲームのようにうまい課金(言い方悪いですかね。。)のあり方がありうるのか、大きなチャレンジだと思います。

一方で、「患者に色々と情報を入力してもらうこと」は、患者に適切なサービスや情報を提供するという意味でも、あるいは患者を知りたい・リーチしたい事業者にデータを提供し収益化する(これができれば患者から対価をもらわなくてもよいモデルが可能)という意味でも、患者向けサービスの一つの重要なコンポーネントになってくるのではないかと思います。Facebookやアマゾン、食べログなんかはこれをうまくやっているのだと思うのですが、継続的にやってもらうインセンティブ付けが難しい部分かと思います。

これまた別の記事になりますが、冒頭に触れたGoogle Helthの失敗の原因について考察した記事(「RIP Google Health」)にも、患者に情報の入力をお願いすることの難しさが記載されていますので引用しておきます。

Few consumers are interested in a digital filing cabinet for their records. What they are interested in is what that data can do for them. Can it help them better manage their health and/or the health of a loved one? Will it help them make appointments? Will it saved them money on their health insurance bill, their next doctor visit? Can it help them automatically get a prescription refill? These are the basics that the vast majority of consumers want addressed first and Google Health was unable to deliver on any of these.


患者向けサービスは難しく、まだ規模としても大きくない。これは裏を返せば満たされないニーズや課題は多くあり、市場としては大きな機会でもあることを意味しているように思います。
何が患者向けに提供できるのかを明確に打ち出すことができ、適切な収益源を見極め、サービスコンテンツの構築そのものに患者の参加を促すモデルを構築できたものが、この領域の勝者になるのでしょうね。今後注目していきたい、絡んでいきたい領域です。

2011年9月21日水曜日

オープン・イノベーションの進化 -P&Gや製薬業界を例に-

先日TwitterのTLを眺めていたら、「動き始めた創薬のオープン・イノベーション」というNatureの記事が紹介されていました。

莫大な開発費と時間と労力のために、新薬が出にくくなっている製薬業界では、社外に創薬シーズ(創薬の種)や技術を求め、リスクを低減しながら効率的に創薬を行う“オープン・イノベーション”が脚光を浴びている。

ということで、製薬業界における幾つかの事例やその背景、特徴といったことが紹介されており、興味深く読みました。

一昔前からよく「オープン・イノベーション」という言葉はよく耳にするようになりました。改めてその定義について、この記事の中に記述があります。

“オープン・イノベーション”は、当時、ハーバード・ビジネス・スクールの助教授だったHenry Chesbroughが、著書『Open Innovation: The New Imperative for Creating and Profiting from Technology (HBS Press, 2003)』で提唱した新しいビジネス戦略だ。従来の“クローズド・イノベーション”では、自分の会社1社だけで、アイデアを創出し、材料を調達して、研究開発し、その後商品化して市場に出し、上がった利益でまた新製品や新技術を開発するといったサイクルを回す、“自前主義”だった。これに対し、“オープン・イノベーション”は、ほかの組織の優秀な人材と協働し、外部の研究開発を利用する。

定義はそういうことではあるのですが、「オープン・イノベーション」で有名なP&Gの「コネクト・アンド・デベロップ」、その専用サイトに記載されている言葉がよりリアルにその内容を表しています。

  • 革新的な製品、技術、ビジネスモデル、手法、商標、容器・包材などをお持ちではありませんか?
  • 弊社の既存製品・ブランドに対するビジネスの機会をお持ちではないですか?

要は、イノベーションに必要なほぼ全ての要素について、ほぼ全てのバリューチェーンにおいて、社外とのオープンなコラボレーションの中でイノベーションを生み出していこうということです。技術やモノだけではなく、マーケティング手法や市場調査方法、ビジネスモデルまでその対象とするのが、進んだ「オープン・イノベーション」の姿のようです。全てのステークホルダー(利害関係者)とあらゆる形でオープンなコラボレーションをしていくこと、と言い換えられるかもしれません。

それにしても、前からあったのかもしれませんが、専用のサイトがあることが驚きです。脱線ついでに少しP&Gについて見てみると、さらに驚きなのが、このページです。

P&Gのニーズを見る・一覧

ここでは、P&Gが社外に知恵を求めているニーズの一覧が掲載されており、例えば下記のようなもの(一例)が列挙されています。P&Gが何をやろうとしているのか、めちゃくちゃわかります(というかトイレタリーの未来がここにあるのかも)。
  • 発展途上国と対象とした、製品需要の初期予測モデルを探しております。
  • ゲームによる消費者動向(購買意欲など)の予測に興味を持っています。
  • すぐにでも製品化可能な抗菌技術を探しています。バクテリア、カビ、ウィルスなどに対して有効であり、特に結核菌に対する有効性が求められます。
  • 商品棚から2m離れた状態で見た目上のインパクトをパッケージに与える新規な加飾技術を探しています。 等々

一昔前までは、このようなものは企業や製品の戦略に関わるものであり、今後の狙いや方向性が他社にわかってしまうということで、クローズドにされる傾向があったように思います。このニーズの開示も当初からやっていたのかわかりませんが、非常に先進的であるように感じました。

さらに、このサイトでは会員登録すれば「提案を行う」こともできるようです。P&Gでは、このような「オープン・イノベーション」を通じて2015年までに年間30億ドルの売上を目指すということです。



話を冒頭のNatureの記事に戻すと、ここでも幾つかの事例が紹介されていて、これまで消費財の世界よりも比較的クローズドだったと思われる製薬業界においても、「オープン・イノベーション」の手法が根付き始めている様子が見て取れます。ただし、創薬シーズの調達という限定された中でのコラボレーションではあります。

記事では、提携型と公募型の2パターンがあるという風に紹介されていますが、記事に「大学や公的研究機関の研究室のヒエラルキーを飛び越えて、若手研究者に直接コンタクトできる」とあるように、公募型に個人的には製薬業界ならではのユニークさを感じます。

※ちなみに記事で紹介されている主な各社公募システムは下記

開発期間は10 ~ 20年間、必要な投資は1 製品当たり500億~1000億円、その成功(上市される)確率は数千・数万に一つとも言われるリスクの一極集中が非常に危険な製薬業界で、これまでこのような手法があまり定着しなかったことがむしろ不思議ではあります。
製薬業界ではこれまで外部からのパイプライン・シーズの取り込みの手法としては、M&Aが主流だったように思いますが、よりバリューチェーンの上流に遡ってシーズ・知恵・リソースの争奪戦が行われているということの現われなのかもしれません。今後の展開が非常に楽しみです。

2011年9月19日月曜日

理想のサービス企画 -頓知ドット 井口CEOのつぶやきに考える-

新規サービスを企画・実行するには、どのような課題を解決することに意味があるのか悩んだり、アイデアの捻り出しにきゅうきゅうとしたり、営業方法に試行錯誤したり、持続的にサービスを発展させるためにマネタイズの方法を考えたり、色々と考えなくてはいけないことが多いです。ただその原点(起点?)になるのは「どのようなサービスを生み出したいか」というサービスの理想形だと思っています。理想形の定義に何か決まった一つの型があるわけではなく、サービスを開発する人・組織、解決すべき課題、あるいは対象とする業界によって幾つもの定義があるのだと思います。

先日Twitterを眺めていたら、AR(Augmented Reality: 拡張現実)アプリ「セカイカメラ」で有名な頓知ドット井口CEOが、サービスの理想形についてつぶやかれていました。

分かり易く、使い易く、意味や価値があり、日々利用出来て、現在の技術ベースで大仰な準備や営業は不要で、自分達らしく、楽しく、世の中の為にもなり、将来性や収益性も高い新規サービスが最高だよね!
※Tweetを埋め込む方法がわからないのでリンクを(なんてアナログ。。)


これ、自分の思うところに非常に近いサービスの理想形です。
人の発言を勝手に整理するのもどうかと思いますが、大きく2つのことを言われようとされているのだと理解しました。

・「三方よし」であること
言わずと知れた近江商人の「三方よし」。「売り手良し、買い手良し、世間良し」ですね。

つぶやきを強引に分解すると、「売り手」:自分達らしく・楽しく・将来性や収益性も高い、「買い手」:意味や価値がある・日々利用出来る、「世間」:世の中の為になる、という風に整理できるかと思います。

これは当たり前と言えば当たり前ではあるのですが、サービスを世に出すということのベースは、「誰かが抱えている問題を解決するあるいは欲求を満たす。自分たちだからこそやれること、やりたいことをやり、それが続けられるように一定の儲けを得る。そのビジネスサイクルが社会全体を良くすることにつながっている。」ということにあるのではないかと思います。

・「シンプル」であること
「三方よし」にうまく整理しきれない、少し異質なキーワードが、「分かり易く、使い易く」「現在の技術ベースで大仰な準備や営業は不要」という2つのキーワードです。これは視点が利用者と提供者で違ってはいますが、言わんとしていることは「シンプルであること」に集約されるのではないかと思います。

直感的には「シンプルであることが良さそうだ」ということは言えると思うのですが、ではなぜシンプルであることがいいのかということを考えると、意外と「なんとなくその方が良さそうだから」というレベルであることが多かったりするのではないかと。もはや誰が最初に言い出したのかわからないくらいですが、色んな人の名言として「やることを決めるよりも、やらないことを決めることが重要」と聞くし、とか。

私が考える「シンプルであること」が重要な理由の一つは、シンプルにすることで「価格に対する相対的な価値が向上する」ということです。

誰しも、「この機能いらない。これなくていいからもう少し安くならないのかな」という経験があるのではないかと思います。利用者が求めていない機能にも開発や営業のコストがかかっているわけで、それは大なり小なり価格として転嫁されているはずです。コンセプトや機能をシンプルにすれば、それだけプロセスもシンプルにできる(コスト≒価格がおさえられる)はずです。

また、シンプルにすることで、価値についても、機能が多くあるよりもむしろ向上する可能性があります。折角のコア機能がその他の雑多な機能によって使い辛くなったり分かりにくくなったりすることがあるかと思いますが、それはコア機能の価値も下げていると言えます。また、価値が下がるというのはまだましで、機能があれもこれもと多いことで、結局何をしたいがためのサービスかがわからず使われることすらなくなることもあります。これに至っては、価値はゼロです。

つまり、シンプルであるということは、「価値が100%消費され、その消費された価値と真に対等な対価が支払われる」という、価値と対価の本来あるべき姿に立ち返ることでもあるわけです。

あ、あと個人的にはあまり汗だくになりながら泥臭く営業することを好まないところがあり、説明不要なシンプルなものであれば何もしなくても売れるはず(もちろんそのための仕掛けは必要)ということもあります。格好良く言うならば、ドラッカーの下記の言葉ですね(苦しい説明。。)。
マーケティングの目的は、販売を不要にすることである


以上のように、「三方よし」と「シンプル」を実現するということは私の中でサービスの理想です。これ、このように言葉として定義するのは簡単でも、いざサービスとして落とし込むとすると結構(というか、かなり)難しいポイントです。考え抜くしかないんですよね。



※おまけ
ちなみに頓知ドット井口CEOは凄くユニークな経営者兼技術者で、たまにすごく本質的なつぶやきをされるので、勉強になります。最近だとこのプレゼンすごく出回りましたね。何度見てもパンチあります。



※全文起こしはこちらから

2011年9月16日金曜日

マーケティングリサーチ:12の新しい潮流 -『WHAT’S NEXT IN ONLINE AND SOCIAL MEDIA RESEARCH?』-

何で知ったか忘れたのですが、豪州のMarket & Social Research Societyで開かれたカンファレンスでの『WHAT’S NEXT IN ONLINE AND SOCIAL MEDIA RESEARCH?』という演題のスピーチ内容が興味深かったのでご紹介します。スピーカーはRay Poynterという人で、『The Handbook of Online and Social Media Research: Tools and Techniques for Market Researchers』という書籍の著者のようです。(すいません、知りません。。)

スピーチ資料の原文はこちら(英語・PDF)


・マーケティングリサーチ:12の新しい潮流
オフラインからオンラインへマーケティングリサーチの舞台が移ってきたことは周知の通りではありますが、このスピーチでは、そのオンラインのリサーチにも大きく早く変化が訪れていると述べられています。
下記が、その中で挙げられている新しい潮流あるいは手法です。

  1. Social media listening
  2. Text analytics
  3. Netnography
  4. MROCs
  5. Community panels
  6. The gamification of research
  7. DIY research
  8. Neuroscience and biometrics
  9. Behavioural Economics
  10. Mass and auto ethnography
  11. Research Bots
  12. Mobile research


・それぞれの潮流の概要
気になられた場合は原文を読んでいただくとして、1,2行くらいでそれぞれの概要をざっくりとメモします。

1. Social media listening
ソーシャルメディアで自然発生的に起こる会話を集約し分析する手法。従来のようにリサーチャーによって「作られる」会話ではないところがポイントではあるが、得たいトピックに関する会話が起こるかどうかは未知数。「それってリサーチではなくモニタリングじゃないの?」とか「会話を抽出される方は使われるって了解しているの?(匿名性の問題)」とか、まあ色々と論じられているようです。

2. Text analytics
これは従来からありますが、いわゆるテキストマイニングですね。1のソーシャルメディアリスニング等が広がってくると、より定性情報を多くのリサーチで扱う必要が出てくるため、もっと進化が必要なのでしょう。

3. Netnography
どうも造語のようですが、ネットにおけるエスノグラフィー(ethnography)のことのようです。リアルのエスノグラフィーは、消費者のお宅にお邪魔してどのように生活していて自社製品をどのように使っているのかといったことを見ていくわけですが、これをネット上の消費行動について見ていくということでしょうか。被験者側のパーミッションをもらっていないと大変なことになりそうですね。

エスノグラフィーとは:知っておきたいIT経営用語

4. MROCs
これは結構最近マーケティング界隈で話題の手法。「Market Research Online Community」の略で、その名の通りオンラインコミュニティの中で定性・定量の両面からリサーチをするのですが、最大の特徴は参加者間の会話やつながりからインサイトを得るということのようです。スピーチの中では、長期的な発展の可能性として、下記のように書かれています。ソリューション創出や商品開発にまでつながると面白いですね。
Short term communities tend to be used as a replacement methodology for other qualitative methodologies. Longer term MROCs tend to be seen as a more general research resource, seeking to co-create solutions for the brand.

下記ブログの解説でMROCの概要は理解できます。
MROCを考える:マーケティング・リサーチの寺子屋

5. Community panels
簡単に言うと、リサーチ会社のパネルを使うのではなく、自前でパネルを用意し、しかも単なるリサーチパネルとしてだけではなく、様々なコミュニケーションのインフラとして使うといったことのようです。MROCと割と近い概念のようで、スピーチの中でも、MROCは通常50から500のメンバ、コミュニティパネルは5000から50000のメンバで構成されると、対比的に書かれています。パネルを外部に出すよりもスピードは上がりますし、長期的に考えるとコストも抑えられるのかもしれません。

6. The gamification of research
マーケティングの世界ではゲーミフィケーションという言葉はよく聞くようになりましたが、「ゲームが持つプレイヤーを活性化させるノウハウを、ゲーム以外の領域に使うこと」を、リサーチにも応用しようということのようです。確かに面白い考え方だとは思いますが、スピーチ中にもあるように、単発のリサーチ用に設計をしてというのはコストと時間的に難しそうです。継続的に何かデータを収集したりモニタリングしたりという目的には適うのかもしれません。

ゲーミフィケーションについては、下記に詳しいです。
ゲーミフィケーションとは何か? 概念の基本と現状:MarkeZine

7. DIY research
言うまでもないかもしれませんが、Do It Yourselfということで、自社でコミュニティを持っていたり、独自に何かしらのパネルにリーチできる手段を持っている場合には、もう外部に委託などせずセルフでやってしまいましょうという流れです。「Survey Monkey」なんかが有名(最近日本にも上陸)ですが、セルフで質問設計から画面作成まで非常に廉価で簡単にできるサービスもありますし、例えばfacebookにファンページを持っていればそこにリンク貼ればいっちょあがりというわけです。

リサーチ専門の人以外にも門戸が開かれるようになるということで質がどうなのかとか、外部事業者の意味合いは何になってくるのかなど、色々と論議はありそうです。

8. Neuroscience and biometrics
直訳すると、神経科学と生体測定。従来は、リアル(対面等)で広告やキャンペーン映像等を被験者に見せてその反応を見るということが主流。これをオンラインでやれるかという話のようなのですが、方法論等含め私には理解しきれない部分ありでした。加えて、面白そうではあるのですが、それ相応の投資をすることが得られるアウトカムに対して見合うのか、少し疑問です。

この手法のイメージはこんな感じです。
ニールセン・カンパニー、脳波でマーケティング効果測定の新事業:六本木経済新聞

9. Behavioural Economics

これも直訳すると行動経済学。これは手法というよりも、人間の認知のあり方や心理的なバイアスといったことがリサーチにどのように影響するかということを、しっかりと踏まえてリサーチを行わないといけないですよね、ということのようです。

10. Mass and auto ethnography
これまでの人類学(anthropology)や前述のエスノグラフィー(ethnography)を、市民/顧客/利用者、あるいは本人/周辺の関係者、といった形で、よりスケールアップすることを指しているようです。スマートフォンやウェブカメラ等を活用することで、より広い対象に効率的に質を落とさず、本来の深堀りを行えるかが鍵のようです。

11. Research Bots
いわゆるbotのようですが、botを使ってインターネット上にある会話やキーワードを拾ってくる形。1のSocial media listeningに近い気がしますが、こちらはモニタリングというのが適切な手法ですかね。また、別のbot活用法として、ソーシャルメディアでの発言等から、消費者をタイプ分けし、このタイプはこのような生活をしていて、何に関心があり、どのような友達をもっているかといったことを類型化していくということも紹介されています。

12. Mobile research
これは読んで字の如くですね(力尽きてきたわけではありません。。)。これまで紹介してきたような手法がスマートフォン等のモバイルを通じてより実用性や拡張性を持ってきているということです。


・そしてBig Data
これまでの12の変化はそれはそれで大きな変化であると言いながら、そんなものBig Dataに比べればちっぽけなもの(tiny)だと書かれています。ちなみにBig Dataとは、クレジットカード利用情報、POSデータ、会員カード情報、web上のあらゆる情報、といったところを総称する文字通り「大きなデータ」のこと。(下記に詳しいです)

Big Dataがもたらしているデータルネッサンス これからはデータが無限におもしろい:Tech Crunch

ESOMAR Global Market Researchの2010年のレポートによると、マーケティングリサーチの売上のうち、50%はいわゆるリサーチ(サーベイ、フォーカスグループ等)からではなく、Big Dataを使ったデータやインサイトの販売によるものだとのことです。言い方を変えると、サーベイをせずともデータはそこにある、ということであり、その活用こそ知恵の出しどころといった形でしょうか。


・所感

このように眺めてみると、色々な変化が起こってきそう(起こっている?)で面白いですね。自分のビジネスに取り入れてみたいものも幾つかあります。

12の潮流、及びBig Dataの内容を俯瞰して見ますと、大きく下記の2つが言えそうな気がしています。
  • 自前化の流れ
  • 外部プロに求められる領域のシフト

自前化についてはどんなサービス領域でも領域の成熟度が増せば自然と起こってくる現象だとは思っていまして、実際に私が以前にいたコンサル業界でも同様のシフトは起こっていました。
自前化が進む理由は幾つかあるかと思いますが、バラバラと思いつくままに挙げると下記のようなところでしょうか。
  • リサーチとプロモーションの距離が近くなり、自らメンテナンスする「コミュニティ」という考えが重要になってきている
  • データは既にある(Big Data)ので、それをあとはどう活用するかが問題になっている
  • 領域の成熟に伴い、スキルのコモディティ化が起こり、内製化が可能(コスト安)になってきている
  • 変化の激しいビジネス環境において、スピードが求められている
  • 消費者や顧客との双方向性のコミュニケーションが求められる中で、当事者の役割が増している
  • 消費者の価値観が多様化する中で、コンテキスト(文脈)の分かる人間が直接声を聞くことが求めらている
  • ますますのコスト低減が求められている

一方で、外部の人だからできる、あるいは誰も知らないからまずは専門家が必要になる、といった領域も増えてきてるのかと思います。そういった意味で、外部プロに求められる領域はシフトしていますが、まだまだ活躍の余地はありそうです。
スピーチの中では、リサーチを専門とする人は何をすればいいのか、という点について下記のように書かれていますね。
The opportunity is that market researchers can focus on putting the “Why?” into the picture, and thereby make the “What?” that Big Data can offer more valuable.


そもそも日本では、欧米に比べて、(既存の)マーケティングリサーチ自体の浸透がまだまだです。

※日本マーケティング・リサーチ協会:『世界における日本のMarketing Researchの概況2008』より抜粋




そんな中、早くも次の波が来ているということは非常にチャレンジングなことではありますが、乗り遅れないようにしないといけないですね。(手法におぼれることのないように。。)

2011年9月14日水曜日

発想とか創造とか -宮崎駿の感覚-

最近、寝る前にちょこちょこと読み進めている本があります。宮崎駿の『出発点 1979~1996』
書き下ろしではなく、1979年から1996年の間に雑誌等に掲載されたエッセーや対談が集められた600ページ弱の分厚い本。

以前のエントリーで、『木を植えた男』で有名なフレデリック・バックの展覧会に行った話を書きましたが、その物販コーナーでこのフレデリック・バックのファンというか高い評価をしている宮崎駿の著書等も置かれていて、文章も結構も書くんだということを知ったのがきっかけ。

ジブリの作品は人並みにほぼ全作品見ていて馴染みもあるし、それ以上に、独自の世界観を打ち出しながら、老若男女問わず多くの人の支持を集めるという、一見背反しがちなことを同時に成し遂げているクリエイターの思考や発想を知りたいなと思ったわけです。

ちなみに、これも以前取り上げたものですが、宮崎駿って面白い考え方するなー、と思ったコメントがこれ。
「あんまり自分がやりたいと思っていることを分析しようと思ったことはないんです。分析した途端にくだらなくなってくるから。」

そんなことで、前半を読んできて気になったコメントをピックアップしておきたいと思います。子供の教育とかにも言及していますが、これ大人に当てはめても言えることだと思っています。

※【】書きは筆者の独断と偏見でラベル付けしたものです。ご注意ください。

【失敗を恐れない】
人間が日々経験していくことを総合して自分の中で膨らましていく能力というのは、もっと幼いときに、やるべきことをやりながら見につけるものなんですね。
木にぶら下がったとたん、「あっ、これ折れそうだからヤバイ」と思うことは、どこで覚えたんだろうって記憶にないですよね。「ここを踏んだら沈むぞ」とか、「ここはぬかってるから踏まないほうがいいな」というのは、いつの間にか覚えることですよね。それは幼児期に、たくさんの実際の現実と触れながら、失敗しながら覚えたことなんです。

【具体的に観察する】
幼稚園で字を教えるなんてもってのほかですね。(中略)字を覚えない、抽象的にものを考えない時代のほうが、ものをじかに見ますから、ものの持ってる性質や不思議さやら、いろんなことを発見するはずなんです。
子供は向こうから来る自動車には気がつかないけども、道の向こうに落っこってる輪ゴムには気がつくんですよ。

【内発的な動機を起点にする】
アニメーターになろうとする君は、すでに語るべき物語や、ある情念や、形にしたい架空の世界を、素材としていくつも持っているはずだ。ときには、人の語った夢の借りモノであることもあるし、現実逃避や恥ずかしいナルシシズムの世界であったりする。(中略)それが曖昧であったら、漠とした憧れであってもかまわない。表現したいものを持っていること、それがすべての始まりなのだ。
いま、一つの企画が決まり、君は何かに触発された。ある種の気分、かすかな情景の断片、なんであれ、それは君が心ひかれるもの、君が描きたいものでなければならない。他人が面白がりそうなものではなく、自分自身がみたいものではなくてはならない。

【量を質に転化する】
たくさん描くこと、できるだけたくさん。しだいにひとつの世界がつくられていく。一つの世界をつくるということは、他の矛盾したり反撥したりする世界を捨てることを意味する。とても大事なものなら、それは、いつか再びつかう日のためにソッと心の中に収えばいい

【前例に逃げない】
いちどヒットしたものの踏襲をあえてしないということかな。たいてい同じ路線でいこうとするでしょ。その安全パイに逃げる方法をあえてとらない。それが結果的にはたまたまいいほうに働いたようですね。それでつまづいてだめになる可能性は十分あったわけだけど。

【今やれそうなものは選ばない】
今、僕たちのスタジオでは、企画検討会っていうのをやってまして、とにかくホンを決めて、それをみんなで読んでいく。(中略)それを映画にした時に、それが当たるか当たらないかは、ともかくとして、面白くなるかならないか、作るに値するか、ひょっとしたらお金になるかもしれないっていう、その三点に照らし合わせてどうかっていうことでね、自分で検討してきて意見を言うわけです。
(中略)これ、今やっても、お客絶対入んないっていう自信のあるホンが出来たんですけど、でも、これは僕らの財産ですから、今は駄目でも半年後にはものすごくリアリティーを持つ企画になるかもしれない。
今やれそうな企画は、選ばないんです。非常識なものを決めようとしているんですよ。

【ギリギリまで考える】
映画っていうのは、僕よく言うんですが、頭のなかにあるんじゃなくて、ここら辺(頭の上を指さす)にあるんだって言うんです。自分が、こういう映画を作ろうと決めて歩き始めたら、現代の日本で、この歳でね、自分に与えられた物理的条件、スタッフとか才能とか。自分の内的条件、エネルギー全部含めて、最良の方法はひとつしかない。なんかあるはずなんです。それを見つける事なんですよ。
安直に、あそこの映画でこういう風にやってたから、ヒョイって持ってきても、それを安直に持ってきただけですから、くっつかないですよ。最良の方法じゃない。それが駄目だなと思うと、探すしかないんです。自分の頭の中探しても見つからないんです。
それで、僕が映画作る時に、絵コンテに時間がかかるっていうのは、それなんですけども、そのときに逃げちゃ駄目なんです。困るしかないんです。それで、うんと困ってると、もう少し奥の脳が考えてくれるんです・・・と思うしかないんですよ。自分の記憶にない過去の体験とか、いろんな物が総合されて、これなら納得できるっていう、それが自分の能力の限界だと思うんですけど、そういうのがポッと出てくるもんだと思うんです。
だから、要はそこまで自分を追いつめられるかどうかなんです。それが一番大事なこと。

【目的を持って本を読まない】
映画にしろ漫画にしろ、何かをつくるために本を読むということは、ほとんどないですね。それまでに気が向くままに読み散らしたものの断片が、何かをつくろうとジタバタしているうちに、うまくいく場合は一本の糸だか縄だかに撚りあう。そういう感じです。


首尾一貫されているのは、「アリモノに逃げず、失敗を重ねた結果、自分の中に積み重なったものから創発する」という姿勢ですね。

本書の後半には、司馬遼太郎、糸井重里、村上龍といったところとの対談や、過去の作品の企画書や演出覚書が収録されているようです。これまた面白そうです。

2011年9月12日月曜日

戦略の自由度 -米国製薬業界におけるフリーミアム戦略を例に-

定期購読誌の一つであるハーバードビジネスレビュー。9月号のテーマは『マーケティングを問い直す時』でした。その中に、『「FREE経済」の戦略』という論文があり、まあフリーミアム自体はさして新しくもないのですが、これを製薬業界、その中でも医療用医薬品の世界で実践しているというケースが収録されていたので、ご紹介。

ちなみに、ケースに出てくるガルデルマというのは、世界最大の食品会社ネスレと世界最大の化粧品会社ロレアルのジョイントベンチャーで、皮膚疾患に特化したスペシャリティ・ファーマ(特定分野における新薬開発メーカー)。この会社の出自自体もちょっとユニークで面白いのですが。
最近は、日本でも「ニキビは皮フ科へ」という、お笑いの柳原加奈子を起用した疾患啓発CMをしているみたいですね。

さて、以下が論文からのケースの抜粋。

2008年、ネスレとロレアルのジョイント・ベンチャーのスペシャリティ・ファーマ(特定分野における新薬開発メーカー)、ガルデルマは、アメリカで処方用にきびローションの<エピデュオ>を発売した。
自社の他のにきび治療薬<ベンザック>のアメリカでの特許が切れかかっていたため、ガルデルマはできるだけ早くアメリカで<エピデュオ>の市場シェアを確立する必要に迫られていた。しかしヨーロッパでは、この製品はグラクソ・スミスクラインのにきび治療用ジェル<デュアック>との激しい競争に直面していた。
アメリカでも同じ状況になると考えたガルデルマは、1年もの間、患者が<エピデュオ>を購入した際の自己負担分を払い戻すプログラムを実行することにした。顧客は、払い戻しクーポンと引き換えに、自分のeメール・アドレスを同社に教える。すると、スキン・ケアのヒントや、にきび関連情報、洗顔せっけんなどの一般製品の安売り情報が送られてくる。
市場シェア獲得のために新製品発売当初に思い切った払い戻しをするのは、製薬業界ではよくある戦略である。それなりのシェアを獲得すれば、その医薬品が健康保険の対象となるため、開発費を相殺し、特許が切れる前に利益を出すことができるからである。
しかし、既存の医薬品を販売している企業は、価格面でリスクを取るのを嫌うのが一般的である。原価計算システムと損益構造のせいで、多額の製品コストを回収すなければならないと考えてしまうのである。
このため、ガルデルマが<エピデュオ>の払い戻しプログラムをスタートさせた時、グラクソをはじめとする既存企業は何もできなかった。グラクソのある幹部は、私たちにこう語った。
「彼らには対抗できません。割引する余裕などほどんどないのです。だから、うちはシェアを失っています」
実際には、ローションやジェル一つの限界費用、すなわち材料費や人件費はごくわずか(数セントから数ドル)である。したがって、既存企業であるグラクソは、大幅な割引をしても、あういは、ガルデルマと同様に払い戻しをしても、短期的に失うものはないに等しかったはずである。
またグラクソは、ガルデルマと同じようにクロスセルを行うこともできただろうし、プロフィット・センターの壁を壊すことで、成功を収めている他製品の利益を使って皮膚科分野の短期的な損失を補うこともできただろう。
そうすれば、ガルデルマはシェアを伸ばすことができず、無料製品の提供を断念せざるをえなかったに違いない。この戦いはまだ続いているが、いまのところ、ガルデルマはその戦略によって顧客を獲得し、クロスセルで利益を上げている。


これは米国のケースですが、製薬業界、それも医療用医薬品でフリーミアムが実践されていることをはじめて知りました。このやり方には賛否両論ありそうですが、良し悪しは別にして、製薬業界にして自由度の高い戦略という意味で、非常に面白い取り組みです。

ご存知のように、日本では薬価制度や保険制度、あるいは患者への直接的なプロモーション方法の規制等により、このような取り組みを製薬企業は出来ないのが現状です。このケースの中だけに限っても、日本では、自由度高く価格を設定することもできませんし、皆保険なので民間保険が中心の米国のように医療経済性も考慮されませんし、患者に直接製品のプロモーションもできません。

このように、規制は戦略の自由度を大きく下げます。もちろん規制によって守られている部分も多いわけですが、一方で規制の議論ではそういったネガティブチェックばかりに目が行き、戦略の自由度によって得られる効用についてあまり議論がなされないように感じます。「じゃあ、いいんですね、こんな最悪なことが起こっても」というように、(生命関連であるがゆえになのか)思考停止になってしまうワードが投げかけられるわけです。

他にも、ヘルスケア業界には色々と規制が付きまといます。何をゴールにするかによってその判断は大きく変わるかとは思いますが、規制として必要なものとそうでないもの(効用と対比した時に外したほうがいいもの)を改めてゼロベースで峻別すべきなのではないかと思います。そうして、戦略の自由度を意識的に高められる人が本当のマーケターでありイノベーターなのでしょうね。

ちなみに、米国製薬業界におけるDTC広告(Direct to Consumers Advertisement)はこんなにも自由度高いんですよ。
米国における医療用医薬品の消費者向けダイレクト広告(DTC広告)

2011年9月10日土曜日

数字には意図がある -「基準値」によって変わる「患者数」-

以前のエントリーで、糖尿病を例に、慢性疾患における病気にかかっているが未治療である潜在患者のボリュームの大きさを確認し、現在マーケティングの対象の中心となっている病気に自覚的で治療をしている層以外にも目を向けることの重要性を考えてみました。その中で、自身の糖尿病に対して「未発見・無自覚で未治療」あるいは「自覚あるが未治療」であると考えられる想定患者数を引用しました。

課題解決の視野を広げる -糖尿病の予防、早期発見、治療を例に-

続:課題解決の視野を広げる -慢性疾患における「未治療」の要因-


これに対する広義の意味での対論というのでしょうか、月刊誌『選択』9月号を読んでいて、興味深い記事がありました。医学博士柴田博氏の「糖尿病患者「急増」の大嘘」から引用します。

七月の某週刊誌に「糖尿病『一千万人の真実』」と題するキャンペーン記事が掲載されたのを、ご記憶の読者もおられよう。
(中略)
この連載の初回で書いたとおり、日本人の総カロリー摂取量は、終戦直後の1946年より、今の方が低くなっている。現代の方が、低栄養なのだ。なのに、なぜ糖尿病患者が急増し、三倍になったりするのか。
手口は簡単である。メタボリック・シンドロームと同様で、診断の基準値を下げたからだ。数値をいじって、患者を意図的に増やしただけのことである。
(中略)
糖尿病診断では、かつて空腹時血糖が140以上を異常としていた。それが1999年になって、126に突如下げた。当然「患者」は増えた。
※ちなみに、「この連載の初回」にあたる、1月号の記事「「健康常識」を疑おう」には、1946年の1日の平均摂取カロリーが1903キロカロリーであったのに対して、2008年は1867キロカロリー、とあります。

記事には下記のようなデータも記載されています。(基準値が変わっただけで)過去から血糖値自体に大きな変化はないというデータのようです。



記事からは、製薬企業や学会といったいわゆる「業界」に対する筆者のアンチな姿勢が漂っているので、額面どおりに受け取ることはしないほうがいいように思いますが、一つの事実としてこのような見方があり、基準が変わったということは良い悪いは別にして事実なのでしょう。

数字はファクトと言われ、数字そのものは客観的なものではありますが、上記のように、その意味合いを考える際にはそこに「意図」が含まれるようになります。例えば、100という数字を高いと見るか低いと見るかは、何を基準に見るかによって変わりますし、過去のからのトレンドの変化によっても異なってきます。また見る立場によっても数字の意味合いは異なります。

今回引用した記事は、以前のエントリーで紹介した数字が「ある種の意図を持っている」と言っているというふうに解釈できます。私は、未治療層のボリュームは大きく、予防であるとか診断であるとかが重要であり、そこに未解決の課題があるということには同感ではあるのですが、「数字の意図」についてはしっかりと見極める必要があることは確かにその通りだと思いました。


■付記
それにしても、こういった数字を体系だってまとめたデータはあまり落ちていませんし、あったとしても怪しげに加工されているものも多いですね。。結局、厚労省しかないのですが、厚労省の統計データから目的のデータを見つける難易度は、天下一品であると改めて思いました。(意図的ではないことを切に願います)

2011年9月5日月曜日

続:課題解決の視野を広げる -慢性疾患における「未治療」の要因-

以前のエントリーで、糖尿病を例に、慢性疾患における病気にかかっているが未治療である潜在患者のボリュームの大きさを確認し、現在マーケティングの対象の中心となっている、病気に自覚的で治療をしている層、以外にも目を向けることの重要性を考えてみました。

課題解決の視野を広げる -糖尿病の予防、早期発見、治療を例に-

その中で、糖尿病の早期診断の鍵を握る「指先HbA1c検査」の普及~「糖尿病診断アクセス革命」、という記事を取り上げたのですが、そこから私がした整理(一部)が下記。

患者群を一般的に整理すると、大きく①非罹患(病気にかかっていない)と②罹患(病気にかかっている・いた)の2つ。
さらに、②は、②-1:未発見・無自覚で未治療、②-2:自覚あるが未治療(もしくはドロップアウト)、②-3:治療中、②-4:治療済み、という4つに大別されるように思います。
(中略)
今回の糖尿病のケースに当てはめると、①と②-4は記事からは不明、②-1は約325万人(罹患中約38%)、②-2は約325万人(罹患中約38%)、②-3は約237万人(罹患中約25%)、ということになります

前回のエントリーでは、この中でも「②-1:未発見・無自覚で未治療」について、上述の参照記事をベースに、検査や早期発見を促すシステム・支援の重要性について考えました。

一方で、「未治療」にはもう一つのセグメントがあり、それが「②-2:自覚あるが未治療」になります。数字だけ見ると②-1と同じくらいのボリュームがあります。変な言い方ですが、検診を受けていないために未発見・無自覚で未治療というのは、まだ理解ができますが、なぜ自覚はあるのに未治療という人がここまで多いのかということは一つ気になるポイントです。

参考までに、厚生労働省の調査から日本の健康診断受診率を調べてみたところ、平成16年度の数値ではありますが、概ね「受けた」が60%、「受けなかった」が35%といった割合です。(被雇用者は受診率高く、自営業者等は受診率低い、というバラつきはあります)恐らくこれらの健康診断には血液検査は入っていると思われるので、国民の60%は血液検査は受けているわけです。血液検査単体で受ける人はかなり意識の高い人だと考えると、上記の「②-2:自覚あるが未治療」は、おおよそこの60%から生まれていると考えられます。

医学情報誌『ランセット』に納められている論文「わが国における医療費抑制と医療の質:トレードオフはあるのか」には、日本で未診察・未治療が多い要因の一つとして下記を挙げています。

日本に総合診療の標準的ガイドラインと研修制度がないことと,予防サービスと治療サービスが分かれていること

背景理解や知識が不十分なため、正確な理解ではないかもしれませんが、要は、「かかりつけ医に定期的に診てもらって病気を見つけてもらう仕組みが不十分である」「見つけるプロセスと治すプロセスが分断されているため、見つけても治せない(ことが多い)」ということでしょうか。

前者については、「②-1:未発見・無自覚で未治療」に関係しそうで、特に健康診断を定期的に受けていない35%の層に大きく響きそうな内容です。
一方、後者についてが、まさに今回取り上げようとしている「②-2:自覚あるが未治療」に当たるのではないでしょうか。

確かに、自分について翻って考えてみると、健康診断で何かの異常値が示されてもそれがどれ程深刻かはあまり意識しない(意図的に調べたり動いたりしない)ですし、よっぽど異常値が出たとしてもネクストアクションがパッと出てくるような知識やリソースが自分にはありません。かといって、健康診断を受診した機関が、何か積極的に医療機関や治療方法を紹介してくれるようなことも、経験上ありません。

毎年だまっていても健康診断を受けられる人は、定期的な検診を受けられない人に比べて、かえって受け身なのかもしれません。この場合、個々人の「意識を高める」ということと、意識が低いことを前提に「見つけるプロセスと治すプロセスをシームレスにつなげる」ということと、どちらが効果が高いのでしょうか。
前回のエントリーもそうでしたが、今回も特別答えがあるわけではありません。自身への一つの問題提起として書きとめておきたいと思います。

前回のエントリーアップ後に、引用した記事の筆者の矢作先生から、こういった未治療なセグメントがボリュームとして大きいということは、「マーケティングという視点からは「潜在市場」という見方もできますよね。」というコメントをTwitterでいただきました。
(まさかご本人から直接コメントをいただけるとは思いませんでした。ありがとうございました。)

私もその通りだと思います。課題解決の意味合いも大きく、継続性の観点からも「市場」になりうる、こういった課題に向き合うということはマーケティングをやるものとして非常に意味のあることのように思います。引き続き考えていきたいと思います。

2011年9月4日日曜日

観察することで見えてくるもの -『江夏の21球』を読んで-

『スローカーブを、もう一球』(山際淳司)に収録されている、『江夏の21球』を読みました。1980年の作品で、ここで紹介するまでもないくらい有名なノンフィクションエッセーです。文庫版でたった24Pのボリュームですが、江夏の日本シリーズ最終戦の登板に的を絞り、多方面への取材を通じて投球シーンのディテールを描写することで、江夏という人物に迫る作品です。

この作品を読もうと思ったのは、たまたま最近読んだ2つの書籍で引用されていたからです。全く毛色の異なる2つの書籍で引用されていることに面白さを感じて読んでみましたが、当たりでした。

『次世代マーケティングリサーチ』(荻原雅之)
『調べる技術・書く技術』(野村進)

こういった、ビジネス書以外の作品に対する書評をする術を持ち合わせていないので、上記2つの書籍のうち、『次世代マーケティングリサーチ』での引用をご紹介することで、雰囲気をお伝えするに留めさせていただきます。『次世代マーケティングリサーチ』では、消費者理解には、数字の把握だけではなく、利用シーンのディテールや心理作用を捉えることが重要だと言う趣旨に絡めて、『江夏の21球』を引用しています。

スポーツノンフィクションの傑作として有名な山際淳司氏の「江夏の21球」は、ビデオの映像を当事者に何度も見せて、その時に何を考えていたか、なぜそのような行動をとったかを思い出させて生まれたものだ。映像からデータに移しただけでは価値を持たない。映像や動画のデータ化で重要なのはその解釈だ。データだけではなく映像そのものが持つ想起力を活用するのはエスノグラフィ的な手法ともいえる。 
興味深いことに、「江夏の21球」を掲載した『Number』編集長(当時)の岡崎満義氏は、1986年に「江夏の経歴を洗って人物クローズアップ的な手法をとるよりも、広島-近鉄の日本シリーズの最終戦で彼が投げた21球を徹底的に”解剖”する方がより江夏の本質に迫れるのではないか」と記している。 
ここにも対象の「理解」に関する示唆が含まれている。消費者の理解もトータルな数字よりもある場面のディテールによって本質が理解できるというのは消費者理解にもあてはまりそうだ。

ちなみにエスノグラフィという手法は、エスノ(ethno-)は「民族」を、グラフィー(-graphy)は「記述」を意味するように、元来は文化人類学や社会学において集団や社会の行動様式を調査することを指します。マーケティングにおいては、アンケート等から統計的に定量分析をする手法と対を成し、消費者の自宅にお邪魔して行動を終日記録するなど、観察やインタビューから定性的に消費者を理解しようという手法です。P&Gなんかが有名ですね。

エスノグラフィーとは

本書でも、江夏の球種は統計的にどうで、ピッチングの組み立てが統計的にどうで、というところからではなく、21球の投球シーンにおける行動や心理描写を通じて、江夏に迫ります。

なんか、面白そうじゃないですか?
Amazonマーケットプレースでは、1円から売られているような感じなので、一度手に取られてもいいかもと思い、ご紹介でした。

なお、ネタばれにご注意ですが、参考資料を記載しておきます。本を読んだ方が当然味わい深いですが、これらで大体中身わかります。

江夏の21球 (Wikipedia)

名作ノンフィクション 「江夏の21球」はこうして生まれた (当時の『Number』編集長の解説)

松岡正剛の千夜千冊『スローカーブを、もう一球』山際淳司 (書評)


あと、引用をさせてもらった『次世代マーケティングリサーチ』はマーケティングを仕事にしている人にとって、非常に示唆に富んだ書籍になっていますので、まだの方は是非一度手に取られることをお勧めいたします。今回引用してみて、また読み直してみたいと思いました。

2011年9月2日金曜日

課題解決の視野を広げる -糖尿病の予防、早期発見、治療を例に-

いつもと少し毛色が異なるのですが、興味分野の医療に関して。

医療の世界におけるマーケティングという文脈で考えると、企業のマーケティング予算が投下されるのは、薬剤等の化学療法による治療や外科手術による治療に代表される「病気にかかっていると気付いている人で病院に行っている人」に対するソリューションや製品に関するものが多いのが現状かと思います。
一方で、全体観を持って医療全般に目を向けてみた時に、一番病気に苦しむ人を減らすことができるのはどのような部分なのか、同時にトータルで(国費も含めた)コストを一番抑えられるのはどのような方法なのか、ということは非常に気になる部分です。

そんな中で、実は「病気にかかっていると気付いている人で病院に行っている人」だけではなくて、もっと視野を広げて考えないと、という記事がありましたので、共有します。

糖尿病の早期診断の鍵を握る「指先HbA1c検査」の普及~「糖尿病診断アクセス革命」

まずは、数字について抜粋します。

  • 2007年の厚生労働省国民健康・栄養調査で日本の糖尿病人口は890万人と推定
  • 2008年の厚生労働省患者調査によると、医療機関を定期受診している糖尿病患者数は 237万人
  • 650万人もの糖尿病者が未治療、糖尿病有病者の実に3/4にも相当
  • その内のおよそ半数は血液検査を受けたことがなく、糖尿病を発症していることを全く自覚していない未発見糖尿病であると言われる

患者群を一般的に整理すると、大きく①非罹患(病気にかかっていない)と②罹患(病気にかかっている・いた)の2つ。
さらに、②は、②-1:未発見・無自覚で未治療、②-2:自覚あるが未治療(もしくはドロップアウト)、②-3:治療中、②-4:治療済み、という4つに大別されるように思います。
この5つのボックスの中で、果たしてどれがボリュームとして大きいのか、あるいは解決することのインパクトが大きいのでしょうか。

今回の糖尿病のケースに当てはめると、①と②-4は記事からは不明、②-1は約325万人(罹患中約38%)、②-2は約325万人(罹患中約38%)、②-3は約237万人(罹患中約25%)、ということになります。
人数だけで議論をするのは大変乱暴ではありますが、これだけ見ても、検査や早期発見を促すシステム・支援の重要性や、ドロップアウトを防ぐシステム・支援の重要性が垣間見えるのではないかと思います。(当然、治療技術の向上は重要だと思います)
また、この記事からでは①の数はわかりませんでしたが、同様に予防の重要性も言えるのではないかと思います。(また機会があれば調べたいと思います)

では何が、予防の意識が高くない、早期に発見されない、ドロップアウトしてしまう、といったハードルになっているのでしょうか。今回の記事は、上記の中でも特に②-1:未発見・無自覚で未治療、について取り上げられています。以下抜粋します。

なぜ糖尿病は放置されやすいのか?それは、糖尿病の大多数を占める2型糖尿病は、初期にはほとんど自覚症状のないままに病状が進行していくことが特徴であり、検査を受けねば見つからないことが多いからである。
(中略)
「何の症状もないのになぜ血液検査を?」という意識の人々もいまだに多いのが現状。

この記事では、下記のような方法を通じて、検査を定着させることを提唱しています。

近年、複数のメーカーから開発・発売されている「微量血液検査装置」では、わずか1μlという、ごく微量の血液(蚊の吸う血液の1/5程度)からHbA1cを迅速(約6分)かつ正確に測ることができるようになった。このレベルの微量の血液で済むということは、すなわち、「指先穿刺でよい!」ということであり、このことは「自己採血が可能!」ということを意味している。指先自己穿刺採血は、これまで主にインスリン治療患者の自己血糖測定として、広く普及してきた方法であるが、これを今後はHbA1c検査にも応用していくことが可能となったわけである。これは、「採血=注射=痛い」というイメージなどにより、(静脈採血による)血液検査を敬遠する人たちにとって、大いなる福音である。

こんなに簡単に・楽にできるのか、という感想を持ちました。広く普及して欲しい良い方法だと思います。ただ、この方法は「採血イヤ」「面倒くさい」という課題の一つに対するものであり、そもそも無自覚のまま症状が進行するということを知らない、検査はお金がかかると思っている、等々、他にも検査を妨げている要因はいくつもあるはずです。

また、この記事では取り上げられていない、②-2:自覚あるが未治療(もしくはドロップアウト)についても、既に自覚がある分だけ治療に戻ってもらうことのハードルは低いのかもしれません。さらに、①非罹患(病気にかかっていない)についても、ボリュームは相当に大きいはずですから、ここの予防を徹底するだけでも相当なインパクトになるかもしれません。

国際的な医学情報誌『ランセット』日本特集号「日本:国民皆保険達成から50年」では、高血圧や高脂血症でも同様に未診断・未治療率が非常に高いということが書かれていました。未診断・未治療率が、高血圧で40%強、高脂血症で80%弱と、米国に比較して、がん治療等の高度医療の普及やアウトカムの基準の高さに対して、一般的な疾患の診断・治療率が非常に低い、ということだそうです。

日本と米国における高血圧症および高コレステロール血症の診療率と管理の状況(PDF)


これらは、「現行の」マーケティングの重要性を否定するものではありませんが、今目に見えている部分だけではなく、より広い視野を持たなければ、本当の意味での課題解決にはならないということを意味しているように思います。

課題解決の視野を広げるということは、目的の設定を変えるということに、言い換えられるのだと思います。今回の例でいくと、「治療している人をいかに完治に持っていくことができるか」から「潜在的な人たちも含めいかに治療に導き、継続してもらうか」という目的設定の転換です。これが答えかどうかは正直わかりませんが。

私自身の興味のある分野として、医療において設定すべき目的・課題解決については、引き続き調べたり考えたりしてみたいと思っています。(範囲が広すぎますし、問題が高度すぎるので、結構難しいのですが)