書き下ろしではなく、1979年から1996年の間に雑誌等に掲載されたエッセーや対談が集められた600ページ弱の分厚い本。
以前のエントリーで、『木を植えた男』で有名なフレデリック・バックの展覧会に行った話を書きましたが、その物販コーナーでこのフレデリック・バックのファンというか高い評価をしている宮崎駿の著書等も置かれていて、文章も結構も書くんだということを知ったのがきっかけ。
ジブリの作品は人並みにほぼ全作品見ていて馴染みもあるし、それ以上に、独自の世界観を打ち出しながら、老若男女問わず多くの人の支持を集めるという、一見背反しがちなことを同時に成し遂げているクリエイターの思考や発想を知りたいなと思ったわけです。
ちなみに、これも以前取り上げたものですが、宮崎駿って面白い考え方するなー、と思ったコメントがこれ。
「あんまり自分がやりたいと思っていることを分析しようと思ったことはないんです。分析した途端にくだらなくなってくるから。」
そんなことで、前半を読んできて気になったコメントをピックアップしておきたいと思います。子供の教育とかにも言及していますが、これ大人に当てはめても言えることだと思っています。
※【】書きは筆者の独断と偏見でラベル付けしたものです。ご注意ください。
【失敗を恐れない】
人間が日々経験していくことを総合して自分の中で膨らましていく能力というのは、もっと幼いときに、やるべきことをやりながら見につけるものなんですね。
木にぶら下がったとたん、「あっ、これ折れそうだからヤバイ」と思うことは、どこで覚えたんだろうって記憶にないですよね。「ここを踏んだら沈むぞ」とか、「ここはぬかってるから踏まないほうがいいな」というのは、いつの間にか覚えることですよね。それは幼児期に、たくさんの実際の現実と触れながら、失敗しながら覚えたことなんです。
【具体的に観察する】
幼稚園で字を教えるなんてもってのほかですね。(中略)字を覚えない、抽象的にものを考えない時代のほうが、ものをじかに見ますから、ものの持ってる性質や不思議さやら、いろんなことを発見するはずなんです。
子供は向こうから来る自動車には気がつかないけども、道の向こうに落っこってる輪ゴムには気がつくんですよ。
【内発的な動機を起点にする】
アニメーターになろうとする君は、すでに語るべき物語や、ある情念や、形にしたい架空の世界を、素材としていくつも持っているはずだ。ときには、人の語った夢の借りモノであることもあるし、現実逃避や恥ずかしいナルシシズムの世界であったりする。(中略)それが曖昧であったら、漠とした憧れであってもかまわない。表現したいものを持っていること、それがすべての始まりなのだ。
いま、一つの企画が決まり、君は何かに触発された。ある種の気分、かすかな情景の断片、なんであれ、それは君が心ひかれるもの、君が描きたいものでなければならない。他人が面白がりそうなものではなく、自分自身がみたいものではなくてはならない。
【量を質に転化する】
たくさん描くこと、できるだけたくさん。しだいにひとつの世界がつくられていく。一つの世界をつくるということは、他の矛盾したり反撥したりする世界を捨てることを意味する。とても大事なものなら、それは、いつか再びつかう日のためにソッと心の中に収えばいい
【前例に逃げない】
いちどヒットしたものの踏襲をあえてしないということかな。たいてい同じ路線でいこうとするでしょ。その安全パイに逃げる方法をあえてとらない。それが結果的にはたまたまいいほうに働いたようですね。それでつまづいてだめになる可能性は十分あったわけだけど。
【今やれそうなものは選ばない】
今、僕たちのスタジオでは、企画検討会っていうのをやってまして、とにかくホンを決めて、それをみんなで読んでいく。(中略)それを映画にした時に、それが当たるか当たらないかは、ともかくとして、面白くなるかならないか、作るに値するか、ひょっとしたらお金になるかもしれないっていう、その三点に照らし合わせてどうかっていうことでね、自分で検討してきて意見を言うわけです。
(中略)これ、今やっても、お客絶対入んないっていう自信のあるホンが出来たんですけど、でも、これは僕らの財産ですから、今は駄目でも半年後にはものすごくリアリティーを持つ企画になるかもしれない。
今やれそうな企画は、選ばないんです。非常識なものを決めようとしているんですよ。
【ギリギリまで考える】
映画っていうのは、僕よく言うんですが、頭のなかにあるんじゃなくて、ここら辺(頭の上を指さす)にあるんだって言うんです。自分が、こういう映画を作ろうと決めて歩き始めたら、現代の日本で、この歳でね、自分に与えられた物理的条件、スタッフとか才能とか。自分の内的条件、エネルギー全部含めて、最良の方法はひとつしかない。なんかあるはずなんです。それを見つける事なんですよ。
安直に、あそこの映画でこういう風にやってたから、ヒョイって持ってきても、それを安直に持ってきただけですから、くっつかないですよ。最良の方法じゃない。それが駄目だなと思うと、探すしかないんです。自分の頭の中探しても見つからないんです。
それで、僕が映画作る時に、絵コンテに時間がかかるっていうのは、それなんですけども、そのときに逃げちゃ駄目なんです。困るしかないんです。それで、うんと困ってると、もう少し奥の脳が考えてくれるんです・・・と思うしかないんですよ。自分の記憶にない過去の体験とか、いろんな物が総合されて、これなら納得できるっていう、それが自分の能力の限界だと思うんですけど、そういうのがポッと出てくるもんだと思うんです。
だから、要はそこまで自分を追いつめられるかどうかなんです。それが一番大事なこと。
【目的を持って本を読まない】
映画にしろ漫画にしろ、何かをつくるために本を読むということは、ほとんどないですね。それまでに気が向くままに読み散らしたものの断片が、何かをつくろうとジタバタしているうちに、うまくいく場合は一本の糸だか縄だかに撚りあう。そういう感じです。
首尾一貫されているのは、「アリモノに逃げず、失敗を重ねた結果、自分の中に積み重なったものから創発する」という姿勢ですね。
本書の後半には、司馬遼太郎、糸井重里、村上龍といったところとの対談や、過去の作品の企画書や演出覚書が収録されているようです。これまた面白そうです。
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