唐突ですが、(広義の)「デザイン」が最近気になっていて、特にビジネスや問題解決という文脈における「デザイン」の重要性が今後増してくる(きている?)のではと感覚的に思っています。なぜ、デザインがビジネスや問題解決において重要になると感じるのか。自分の中でもまだ上手く言語化できず、感覚的な域を脱しません。
勉強するにしても何か仮説や思考のきっかけとなるようなものがないと学びも進まないので、今バクと考えていることをメモ。
Why? :なぜ「デザイン」がビジネスや問題解決において重要になるのか?
ビジネスや問題解決という文脈におけるデザインということでは、この「デザイン思考」が最もよく聞かれる言葉かと思いますが、このデザイン思考が、なぜデザインが重要になるのかということの一つのヒントになりそうな気がしています。
過去にこんなポストを書きました。
分析と直感のハイブリッド -東京大学i.schoolシンポジウム『ビジネスデザイナーの時代-デザイン思考をどう実践するか』に参加して-
このデザイン思考という言葉、当時もうまく咀嚼しきれずやもやしながら書いていたことを覚えていますが、今もそのもやもやは残っています。これを腹に落としたいです。ハーバードビジネスレビュー2008年12月号の『人間中心のイノベーションへ IDEO:デザイン・シンキング』に少しヒントになるような記事があったのでメモ。デザイン・コンサルティング会社IDEOのCEOティム・ブラウンの記事。冒頭のみであれば、ここで読めます。
以下、抜粋して引用します。
トーマス・A・エジソンは、白熱電球を発明し、ここから一つの産業を築き上げた。それゆえ多くの人たちが、エジソンの代表的な発明として、まず電球を挙げる。しかし、電球が電球として機能するには電力システムが不可欠である。このシステムがなければ、電球は一種の見世物にすぎない。この点を理解していたからこそ、エジソンは必要なシステム全体を創出したのである。したがって、エジソンが天才たるゆえんは、ここの発明品だけでなく、完全に発達した市場までも思い描ける想像力にあった。彼は、人々が自分の発明品をどのように使いたいと思うのかを想像できたからこそ、これを実現しえたのである。(中略)彼はユーザーのニーズや嗜好を必ず検討した。エジソンのアプローチは、イノベーション活動の全領域に渡って、人間中心のデザインの真髄を吹き込むアプローチ、いわゆる「デザイン思考」の初期の例といえる。
ここで、デザイン思考のアプローチを定義しておこう。「「人々が生活の中で何を欲し、何を必要とするか」「製造、包装、マーケティング、販売およびアフター・サービスの方法について、人々が何を好み、何を嫌うのか」、これら二項目について、直接観察し、徹底的に理解し、それによってイノベーションに活力を与えること」
ダニエル・ピンクはその著書『ハイ・コンセプト』のなかで、次のように述べている。「豊かさのおかげで、多くの人の物理的ニーズは過剰なまでに満たされた。それによって、美しさや感情面を重視する傾向が強まり、何らかの意味をいっそう求めるようになった」基本的なニーズが満たされた現在、感情面での満足、しかるべき意味と洗練さを備えた経験への期待が高まっている。しかし製品だけでは、このような経験は生み出しえない。製品やサービス、そして場、情報などが複雑に組み合わさったものであるはずだ。たとえば、教育を受ける方法、娯楽を楽しみ方法、健康を維持する方法、共有して伝え合う方法が、これに該当する。デザイン思考は、このような経験を思い描くと同時に、それらに望ましいかたちを与えるツールでもある。
(前略)これらの問題すべてに共通しているのは、その中心にいるのは人間であるということである。したがって、最善のアイデアと究極の解決策を見出すには、人間中心で、創造的でしつこく繰り返す、実用的なアプローチが必要である。そのようなアプローチこそ、イノベーションにデザイン思考を生かすことにほかならない。
わかったようなわからないようなというのが正直なところ。キーワードは「人間中心」「感情・経験」「システム(系)」です。「なぜデザインがビジネスや問題解決において重要になるのか」という背景には、日常の生活レベル(消費行動等)から国家・世界レベル(社会問題解決等)に至るまで、これらのキーワードの重要性が増してきているというところにありそうです。
What? :そもそも「デザイン」とは?
ここで言うデザインはいわゆる「意匠」に限定したものではありません。まだ上手く言語化できないのですが、より広義に、「ものごとのシステム(系)全体について、ビジョン・ゴール、道筋(戦略・戦術)、そこに関わる人の活動や感情・経験まで全てを統合的に設計し計画する」という意味合いを持つような感覚です。
そもそも、デザイン(design)の語源は、「計画を記号に表す」というラテン語「designare」だそうです。ちなみに下記がデザインの定義だそうで。(注意:孫引きです)
designの語源のラテン語designareは、de+signであり(deは,from, out of, descended from, derived from, concerning, because of, according to, in imitation of, などの意味)、 記号を表出する行為、表出された記号自体、対象や意味を明確に示す行為、他との境界を限定して形状をはっきり示す行為、対象や意味に相当する代理物を用意すること、複写や記述、表示する要素の選択、 特定の対象や意味に他者の注意を向ける作為、感覚器官で捉えられうる刺激の集合によって対象や意味を代替えする行為、をさす。
『記号学大事典』
「単純なものに絵やラベルや説明が必要であるとしたら、そのデザインは失敗」という一節が、最近読んだ『誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論』(D・A・ノーマン)にありました。上述の定義に絡めて考えると、デザインという万国共通言語による記号化で全てを表現しつくし、人々の特定の行動を導くことが求められるということかと思います。
これはあくまでも製品やサービスについての言及ではありますが、もしかするとこれは広義のシステム(系)にも当てはまるのかも知れません。つまり、システムをデザインするということにおいて、「計画を記号に表す」というように、シンプルでユニバーサルなシステムに仕立てるということは重要なチェックポイントであるのかも知れません。
What for? :「デザイン」の先には「イノベーション」がある?
デザインはあくまでも手段であり、その先に求める効用やアウトカム、ゴールがあるはずです。それは何なのか。
デザインというキーワードで書籍を探したり、人に話を聞いたりすると、「イノベーション」というキーワードにぶつかります。これがなぜなのか、ということを考えることは、デザインの効用やアウトカムを考える上で意義があるように思います。
イノベーションとは、既存と新規、破壊と創造、線形と非線形、シーズとニーズといった相反する事柄の統合でありハイブリッドであると捉えることができます。また、企業や組織が継続的なイノベーションを創出するためには、相反する事柄を上手くマネジしながら、ヒト・モノ・カネ・情報を調整するシステム(系)としての仕掛けが重要になります。そう考えると、上述のデザインの定義に符合してくるような気がします。また、昨今の消費者やパートナーを巻き込んだオープンイノベーションの流れも、システム(系)の範囲の拡大といった観点でデザインの重要性を増す流れになりそうです。
By whom? :「デザイン」は右脳的な仕事なのか?
デザインという話をすると、クリエイティブという言葉との連想によって、「右脳的な仕事でしょ?」とか「ビジネスサイドの仕事ではないよね?」といった反応があるように思います。私もかつてはその口。果たして、デザインは限られた右脳的タレントにしかできない仕事や技なのでしょうか。論理⇔感情、分析⇔直感、左脳⇔右脳、といった2項対立の整理の枠の中で、デザインをそのどちらかにはめ込んで整理するのは安直な発想なのかも知れません。
現時点では、デザインとは上述の2項対立を超えた下記のようなものという仮説を持っています。こう考えると必ずしも右脳的な仕事とは言えない気がします。デザインとは誰が(どのようなスキルを持った人が)担うのか。ここも理解を深めたいポイントです。
- 分析と直感のハイブリッドがデザイン?
- 非論理的なこと(感情、経験等)を論理的に説明するのがデザイン?
- ビジネスの設計図(戦略、モデル等)そのものがデザイン?
How? :「デザイン」の方法論とは?
これは色々なフレームワークがあるでしょうし、目的に応じて適切なものを選択していくということになるのでしょう。王道的なものは一通り押さえておきたいところです。
結論のない、まとまりのない内容になってしまいましたが、こんなことを念頭に置きながら理解を進めていきたいと思います。
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