2013年8月4日日曜日

好き嫌いの経営 -『経営センスの論理』を読んで-

『経営センスの論理』読了。著者の楠木建氏は『ストーリーとしての競争戦略』の著者で一橋大学大学院教授。前著がなかなか面白かった記憶があったので手に取りました。内容はAmazonの書評にあるように賛否ありそうな感じで、良くも悪くも、ユルくて軽い。もともとハーバードビジネスレビューのWEBサイトに連載していたコラムを再構成した内容ということもあり、理論とか体系立った分析ではなく、まさにセンスで書いた散文を寄せ集めた内容。通勤電車でサクッと読む感じが丁度良いです。

タイトルにある「センス」についてはあまり深堀りされておらず、そこは残念。まあセンスの話はセンスでしかできないみたいなこともあるのか、論理立てて文章にするというのは難しいのだろうと思います。

ただ、寄せ集めの文章ならではの良い面もあって、それは読み手の解釈次第で散りばめられているエッセンスから何らかの意味合いを勝手に見いだすことができること。個人的に、本書には、経営における「綜合的なモノの見方」を考えるエッセンスが色々とあったかな、と思います。著者は、経営には「アナリシス(分析)とシンセシス(綜合)の区別」が必要で、「戦略の本質はシンセシスにある」と述べています。分析的なモノの見方だけでは事業を動かすとか経営(的な動き)をするといった場合には不十分、ということは、非常に重要なポイントであるように思います。

少し話がそれますが、DeNA創業者南場氏の『不格好経営』にも、コンサル出身者が事業をやる側に回る上でアンラーニング(学習消去)すべき点として、「何でも三点にまとめようと頑張らない。物事が三つにまとまる必然性はない。」を挙げていました。これ見た時あまりに的を得ていて笑ってしまったのですが、経営における物事は、常に三つにMECEにまとめられるほど単純ではなくて、もっとダイナミックにつながり影響し合っているし、デジタルに一定の軸で分解できないごにょごにょっとした何かを含むやっかいなものである。無理やり三つにまとめるという行為は、まとめている(=綜合)のではなく分解している(=分析)にすぎないということを言わんとしているのだと私は解釈しました。裏返すと、経営や事業を動かすにあたっての綜合とは、そういった分析的行為とは似て非なるものだと。

話がそれたついでに、上記に並べて南場氏が書いていたコンサル出身者へのアドバイスとして面白かったのが「自明なことを図にしない。」「人の評価を語りながら酒を飲まない。」「ミーティングに遅刻しない。」です。いやー、もう耳が痛いですね(笑)

話を戻します。

本書にある、経営における綜合的なモノの見方のエッセンスとして私が特に気になったものは、「好き嫌いをどう経営に織り込むか」「商売は自由意志」という2点です。

「好き嫌いをどう経営に織り込むか」について、どう織り込むかの解(方法論)はありません。著者は下記のようなことを言っています。
会社内での議論や意思決定では、好き嫌いについての話は意識的・無意識的に避けられる傾向がある。好き嫌いはあくまでも個人の主観だ。会社内での何らかの判断が必要となったとき、好き嫌いで決めてしまえば、意思決定の組織的な正当性が確保しにくい。客観的な「良し悪し」が前面に出てくるという成り行きになる。(中略)それだけでは他社との差別化を可能にするような面白みのある戦略にはならない。(中略)「こっちのほうが面白そう」「そういうことは嫌いだからやりたくない」という理由で物事が判断されてもいいはずだ。
確かにこれは実感値があり、実際にそういう意思決定の場面も日常の事業運営で行われますが、これをどうやって組織的な力にするかが課題かもしれません。

また、「商売は自由意志」という点ですが、ビジネスの根本原則は「自由意志」であり、誰からも頼まれていないし、誰からも強制されていない。しかし、よく経営者から聞かれるのは「~せざるを得ない」という言葉だとか。これを言った瞬間に、「商売は自由意志」という原則に照らすと、経営の自己否定となります。商売は「せざるを得ない」ではなく「何をしたいか」、戦略は「こうなるだろう」ではなく「こうしよう」という意志の表明だと著者は言います。

これも非常に耳が痛い話。事業の成長を考えるとグローバル化せざるを得ない、ビジネスモデルを転換せざるを得ない、果てには新規事業を考えざるを得ない、といったことさえ社内で話されることがあるのではないでしょうか。

コンサルティング会社マッキンゼーの中興の祖であるマービン・バウワーも、名著『マッキンゼー 経営の本質』で次のように言っています。
「経営の意思」の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない。システムとして経営に取り組み手法は既に盛んだが、多くの企業で効果的に実行されているとは言い難い。「経営の意思」が発揮されてこそ、経営システムは価値あるものになる。
これ、1966年の著です。昔からこの点は普遍的な問題のよう。

上述のような点に、分析的なモノの見方だけでは捉えきれない経営の肝のようなものを感じます。もちろん客観的にファクトで物事を捉えることはベースとして重要であることは言わずもがなですが、「良し悪し」や「せざるを得ない」で物事を分析的にデジタルに判断をすることは、ある意味で(一定のスキルの人材を揃えれば)誰でもできて楽な作業かもしれません。一歩先を行く突き抜けた経営や事業運営をするには、すごく直観的(センス?)ではありますが、どうやって綜合的なモノの見方を組織として経営に取り込むことができるかが、ポイントになるのではないか。すごくチャレンジングだし面白いテーマだと思います。

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