2013年7月17日水曜日

時間を売るビジネスの辿る道 -労働集約的産業化しつつあるSIやコンサルティングを例に-

突然ですが、弁護士ドットコムというサイトをご存知でしょうか。いわゆるプロフェッショナル業の最たるものである弁護士がサイトで検索できて料金表がネットで公開されている、そんな時代になっているのですね。当然、複雑な事案や(一定規模以上の)企業法務などはまだまだ取り扱えるファーム・弁護士は限られているでしょうし、その(希少)価値は薄れていないとは思いますが、大部分の一般的事案についての弁護士業務は相当コモディティ化が進んできている印象を受けました。

一般的に、誰でもできる(誰でも価値の変わらない)仕事や代わりの仕組み(機械やシステムなど)に置き換えることのできる仕事、いわゆるコモディティ化しつつある仕事というものは、どんどん値引きの対象となったり、代替事業者(国)の脅威にさらされることになります。さすがに弁護士業務はかなりローカル性の強い商売ですので、国内の小さな案件ベースに国外の事業者が入ってくることは当面なさそうですが、国内における需給のバランスや業務内容の定型化などから横比較圧力、値下げ圧力は強まると思います。

■ペイ・フォー・タイム(pay for time)への値下げ圧力
プロフェッショナル業のコモディティ化。SI(システム・インテグレーション)やコンサルティング、会計・監査などが同じプロフェッショナル業の例として想起されますが、稼働した時間に課金する、ペイ・フォー・タイム(pay for time)が基本的な価格体系であることが共通点として挙げられます。

私の周りを見ている中での印象では、ペイ・フォー・タイムで提供されている仕事やサービス、つまり時間単価/人工(にんく)を出して時間に課金している仕事やサービスというものは、大体が値下げ圧力の渦に巻き込まれているように感じます。SIにおけるプログラミングやテストといった業務などは典型ですが、最近はコンサル業界においても、話を聞く限り一部では値下げ圧力がかかっているようです。私は弁護士業務には詳しくないのでよくわからないのですが、価格が廉価になってきているという状況はあるのでしょうか。

私は、ペイ・フォー・タイムな仕事やサービスの提供をするということは、値下げ(切り)を許容したということとほぼ同義と捉えています(当然当事者はそのようなつもりは毛頭ないと思いますが)。上記のような業界では、クライアントへ出す見積もりは大体が時間単価・人工(にんく)を積み上げる方式。これってクライアントからすれば非常に勉強してもらいやすい価格体系でして、「このモジュールいらないから削って」「こんなシニアな人つけなくていいから抑えて」「ここは社内でやります」「XXさん高いよね、外してもらっていいですよ」「よそでは同じこといくらでやるって言ってましたよ」というような具合です。

■ペイ・フォー・タイムは知的生産の工業化
このペイ・フォー・タイムのモデルにおいては、プロジェクトがフェーズやタスクに細分化され、それぞれに各クラス/職種が何人日必要かというシンプルな論理で値付けがされます。価格は個人ではなく、クラス(職位)や職種に応じて付くものであり、均質なアウトプットが前提です。あまり個は重要ではない匿名な世界です。職務の細分化による知的生産へのテイラー主義の導入、知的生産の工業化、と言えるのかもしれません。

製造業(の製造ライン)をイメージしてもらえればわかりやすいと思うのですが、工業における、型を作り高いレベルで均質を保ち、生産性を上げ、コスト効率を1円単位で高める動きが知的生産にも及んでいるということだと思います。現にSI事業のオフショア/ニアショア化の流れは製造業の過去の流れを想起させます。

■かつてはペイ・フォー・バリュー(pay for value)だった?
上述したようなSIerやコンサルティング会社も、まだそういった事業者が提供する情報やノウハウ、人材に希少価値や新規性が高かった時代、価格設定は内部的に見るとコスト積み上げ方式であったかもしれませんが、クライアント企業から見ればバリューや場合によっては個々人に値段が付いていたのかもしれません。下記のようなアウトカムに対して値付けがされる、あるいはその人個人に値付けがされる世界です。

・ペイ・フォー・パフォーマンス(pay for performance)
⇒プロジェクトの結果にコミットし、誰が何時間働いたということではなく成果に応じて報酬を受け取る

・ペイ・フォー・バリュー(pay for value)
⇒他では提供のできない希少価値や模倣困難な価値を提供することで、(場合によっては言い値で)価値に対して値付けをする

・ペイ・フォー・パーソン(pay for person)
⇒グレーヘアコンサルタントや人気キャバクラ嬢のごとくバイネームでの指名買いを獲得する(同じ時間課金でも指名であることにペイ・フォー・タイムとの違いがある)

今でも、特にコンサルタントはとにかく密度高く長時間働く労働力としての価値は非常に高いですし、(事業の)時間を買うという観点で価値がついているケースもあるとは思いますが、情報の非対称性が解消され、知見がクライアント企業に取り込まれた(外部企業の提供する知見の価値が相対的に下がった)現在、提供する役務はある程度コモディティ化していると言えます。「知的」労働集約的産業と言い換えることができます。

そうすると視点が価値ではなくコストに向くのは必然でして、この流れがペイ・フォー・タイムなコスト構造を顕在化させてきたのかもしれません。こうなってきますと、価格での競争ルールが働き始め、そのことがコモディティ化を加速させるという、負のグルグルが回り始めます。

■目先の安定のためにペイ・フォー・タイムを選択しない
先のパフォーマンス/バリュー/パーソンに対して対価をもらうモデルは、個人的には下に行けば行くほど難易度が上がり、一つ上の実績が次のモデルを実現する上で必要になる要素である気がするのですが、いずれにせよこのような値付けを行う(売り方をする)ことは簡単なことではありません。反対に、ペイ・フォー・タイムなビジネスは、価格の根拠の説明がしやすいので、売りやすい(営業しやすい)という特性があります。乱暴なことを言うと、一度価格テーブルさえ決まってしまえば、あとはオペレーティブに回せるので考えなくてもいいのです。企業やプロジェクトの規模が大きくなった場合の、コスト管理のしやすさもピカイチです。

ただ、ビジネスの持続可能性、コモディティ化のリスクを考えると、理想としては上記の3つのモデルいずれかを志向する必要があるように思います。短期的な視点に立つと、ペイ・フォー・タイムな仕事は安定していてむしろリスクが少ないという見方もできるため、そちらに流される(自然な)圧力は組織にはありがちだと考えていまして、それに抗うことを常に意識する必要があります。

ペイ・フォー・タイムを個人の評価に置き換えてみてもわかりやすいです。つまり、時間いくらの世界で評価されるような人材であることをどのように考えるのか。成果で評価されないことは確かに一時を考えると楽なのですが、成果で測られないことでホッと胸をなで下ろしてはいけないと思います。確かに単年で成果が出ずクビを切られることはありませんが、それは安定を意味するのではなく、代替可能性(仕事の外出し、あるいは自身の非正社員化)や価格(報酬)下落のリスクを意味すると考えた方が良いと個人的には感じています。

ビジネスとして時間を売ること、個人として時間で評価されること、いずれも短期視点では楽なのですが、時間を売るということが必ず辿る道があるような気がしたので書いてみました。

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