2013年6月16日日曜日

当たり前過ぎることをできないと高い山には登れない -登山家であり起業家、山田淳氏の講演を聞いて-

久しぶりの投稿です。2013年初投稿が6月、しかも前回が昨年の8月。。誰に求められているものでもないですが、なんとも間が空きすぎました。特に再開をするキッカケのようなものがあった訳ではないのですが、少し考えるべきことも多くなり、その時の考えごとに直接関係がなくとも思考やインプットを整理していこうかなと思っているところです。

さて、先日、登山道具レンタルビジネスの起業家である山田淳氏の講演をお聞きし、少し意見交換させていただく機会がありました。氏の経歴ややられていることは、下記の記事がわかりやすいです。

新世代リーダー 山田 淳 登山ガイド 山の世界から見る新しい日本

特にその経歴(灘・東大→七大陸最高峰最年少登頂記録→マッキンゼー→起業)がとにかく目を引きますが、ご本人は親しみやすいキャラクターと軽妙なトークで人を惹きつける方で、氏の登山ガイドを受けた人は「山田さんファン」になり、「どの山に登りたいかより山田さんと登りたい」という状態になるそうです。「そこに山があるから」ではなく「山田さんと登れるから」という(笑)

講演では七大陸最高峰登頂の話を中心に、直近の起業も絡めたお話もお聞きできました。月並みすぎますが、(色々な比喩での)「山に登る」ということに対して、山田氏がどのようにアプローチされているのか、私の得たことを整理します。

・目的を忘れない
七大陸最高峰最難関のエベレストの登頂ともなると、常人の想像を超える世界。実は常に登り続けている訳ではなく、ベースキャンプ(既に5300m!)を拠点に少し登っては戻り、また少し目標の高さを上げて登っては戻りを繰り返し、体を順応させながら、その少しずつ上げる目標の高さを頂上に持っていく作業を2カ月程繰り返すのだそうです。

登るという行為自体の難しさももちろんありながら、これは精神力の世界。体力を削がれながら、体重は5kg減り、常に二日酔いのような状態(高山病)で2カ月登ったり下ったりを繰り返す訳です。そして道中には死体が転がっている。そうなると、皆、頂上を目指すという当初の目的を忘れ、やれスペイン隊は調子がいいらしいぞ、などと横との比較をし出すようになるそうです。また、頂上目前のキャンプにはそこまで登ってきている各国の隊が最後の登頂へのアタックの準備をしているそうですが、先頭を切って出ると登頂のためのロープを氷壁に張る作業をしなくてはいけない(体力を消耗する)ことから、どこか他の隊が出たら即後ろを2番手で追随できるように様子見をジリジリとするそうです。

本来は山と向かい合っているのに、いつのまにか横との戦いに目的がすり替わってしまう。山田氏は最後のキャンプから頂上へのアタック、頂上に登ることができればそれでいいという考えで、先頭で飛び出していったそうです。

・既存のやり方に囚われない
山の業界はすごくプリミティブな業界だそうで、いわゆる昔からの通説が幅を聞かせているそうです。その一つが、山に登るには山に入って研鑽を積むしかない、という考え。エベレストアタック前にも普通は近くのエベレストに次ぐクラスの山を登ることで順応していくのが通例だそうですが、山田氏は、そこでの体力消耗や期間・お金がかかりすぎるということから、日本の低圧トレーニング施設に通わせてもらう交渉をしそこでトレーニングを積んだそうです。

また、現在手掛けている登山道具レンタルも然り。今までは素人も富士山に登るために総額10万円程の装備を準備しないと参加できないような障壁の高かった世界に、レンタルという(他業界では当たり前の)考え方を導入。富士山に登る人は別にこれから本格的に登山を始めようとしている人ばかりではなく、もっと気軽に登れればという潜在的な顧客がいるのではないかという分析をベースに事業を始めたところヒットしたそうです。

・小さな決断を積む
「七大陸最高峰最年少登頂記録!」「マッキンゼーという経歴を捨て登山というビジネス不毛の地で起業!」といったように、脚色も含め結果として大きな決断をしたように結果論としては見えがちです。これはご本人も話されていたことですが、七大陸最高峰登頂はある書籍を読んで俺もできるかもというノリから始まったそうですし、起業も元々山がバックグラウンドでそこでミッションを持つ者としてはリスクはあまり感じなかった、むしろこれまでの経歴をフルに活用してやるというくらいで、ということです。

逆説的ですが、大きな決断に見えるところに、実は大きな決断はない、ということなのかもしれません。始めは、シンプルに「やりたい」「やるべき」というところに素直に一歩実行をするところから始まり、その後にやるべきことを目的に照らして慎重に細分化し、小さな決断を頻度高く繰り返すことに成功のヒントがあるのではないかという印象を受けました。

・戦略的に準備する
当然登り始めたら体力や技術がないと登れないのは事実ですが、お話を聞いていると登るための状態づくりが登頂の成否を大きく決めているように感じました。山田氏の言葉を借りると「成田を出た時点で80%成功している」とのこと。エベレスト登頂には学生バイトでは賄いきれない多額の資金を必要とするため、うまく「最年少記録」(本人はどうでもよかったらしい)を梃子にスポンサー集めをしたり、上述のように目的のために分析的に打ち手を導いたりと、事前の準備に緻密な計算があります。

「実行までに時間をかける」ということと「準備を怠らない」ということは似て非なるものであるということを再認識しました。


書いてみるとあまりに当たり前すぎる話。当たり前過ぎることをできないと高い山には登れないという証左でもあるように思いました。(まとめ方が悪いという噂も、笑)

2012年8月9日木曜日

変えないということ -深澤直人氏のコラムを読んで-


深澤直人というデザイナーをご存じでしょうか。
ここに経歴など)

という問いかけも変に聞こえるくらい有名な方なのでご存知の方も多いかと思いますが、氏はauの携帯「インフォバー」「±0」というブランド(加湿器は多分誰しも見たことある)が有名なデザイナーで、元IDEO日本法人代表(今はないが当時は日本にもあったらしい)でもあった方です。

この深澤直人氏が「d design travel」という47都道府県のトラベル情報が掲載された雑誌にコラムを連載されています。この雑誌をどこかで目にした時に、「変えないということ」という回の内容が印象的でメモっていたのを思い出しました。コラム全体ではありませんが、特に印象に残っている部分だけ下記に引用させてもらいます。
長く使われてきたものは、もう生活の分子になっているから簡単に変えようとしてはいけない。「保守的」といわれるかもしれないが、「保守」ということばには2つの意味がある。1つは、「正常な状態を保つこと」。もう1つは、「旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとすること」。それはまさしく長い年月を経て「ふつう」になってきたことを「ふつう」のままにしておこうとすることだと思った。保守の反対は革新で、その意味は旧来の制度を改めて新しく変えることである。制度を改革するのであって、よいものを新しく作ることとは違う。変えるのではなく、しっくりいっていないことを正し、改善すること。デザインは「変える」こととか「新しく」作ることだと思い込んでいる人は少なくない。そういったデザインの一般論に反抗して「変えない」ということは易しくない。「自分のデザイン」というような気持ちを捨てなければならない。でもそうやっていいものを継承して現在の生活に合わせて少しずつ直していこうとすれば、いつか自然に新しいものがぼろっと生まれる時がある。新しいのに、ずっといいものと繋がっているいるようなものができる時がある。

散文的で少しわかりにくいところもある(ご本人のスタイル?)のですが、「変えない」デザインの大切さと難しさ(革新を否定しているわけではないが、何でもかんでもただ変えることが良しとされることへの警鐘)を述べられた内容なのかと理解しました。

身の回りで言うと、生活の分子になっているというと、例えば茶碗みたいなもののことでしょうか。確かに私も、ご飯を食べる器に対して特に新しい形状や独自性を求めていませんし、革新的な米のよそい方を欲しているわけでもありません。

食事に関する周辺を見てみると不思議なもので、人の食生活はライフスタイルとともに変化していますし、台所の機能もだいぶ昔と変わっていますし、器によそう食事そのものにもどんどん変化があります。そんな変化の中にあって、茶碗だけは長い間変わっていない(変化を求められない)という不思議。これが氏の言う「生活の分子」というものでしょうか。

これ、自身の仕事で扱っているビジネスやサービスに当てはめるとのどのようなことが言えるのか、一考に値すると思います。

  • 「変えるもの」と「変えないもの」をしっかりと峻別できているのか
  • 「変えること」だけを是としていないか
  • 「意図的に」そのままにしているものはあるか

「戦略とはやらないことを決めること」というのはあまりにも有名ですが、自分のビジネスで「変えないこと」についてもこのお盆にでも考えてみたいと思います。

2012年7月12日木曜日

シンプリシティ(Simplicity)とは -シンプリシティはシンプルに非ず-


最近、生活をなるべくシンプルにしたい(ありたい)と思っていたり(年齢のせい?)、仕事でも、例えばサービスの企画にあたっていかにシンプルな仕掛け・機能で本質的なニーズを満たせるか、ということを気にしていたりします。

シンプルにすること(であること)。デザインやサービスのインプリメンテーションにおいては、シンプリシティ(Simplicity)という言葉でよく言われているように思います。

シンプリシティ(Simplicity)を英英辞書で引くと、下記のような記述があります。
the quality of being simple and not complicated, especially when this is attractive or useful:
(Longman オンライン版より)
つまり、シンプリシティとは、単純にシンプルである(簡単、簡素である)ということだけではなく、前提として魅力的であり実用的であるということです。ここは忘れやすい。(TO:自分)

これをサービスに置き換えて考えてみると、サービスが魅力的であり実用的であるということは、ユーザーの抱える課題を解決しニーズを満たすものであることを意味すると考えられます。シンプリシティを実現することがそんなに簡単でないことがわかります。

下記は、アップルのデザイン責任者Jonathan Iveがシンプリシティに関して答えたインタビュー記事。
"Our goal is to try to bring a calm and simplicity to what are incredibly complex problems so that you're not aware really of the solution, you're not aware of how hard the problem was that was eventually solved." 
"Simplicity is not the absence of clutter, that's a consequence of simplicity. Simplicity is somehow essentially describing the purpose and place of an object and product. The absence of clutter is just a clutter-free product. That's not simple." 
"The quest for simplicity has to pervade every part of the process. It really is fundamental."
Jonathan Ive interview: simplicity isn't simple より

皆がソリューションに気付いていなかったり、解くのが非常に難しい複雑な問題にシンプリシティをもたらすことがゴールである。そして、乱雑さが排除されている状態はシンプリシティの結果であり、それ自体がシンプリシティが意味するものではない。というような趣旨かと。

また少し畑の違うところで、小説家の村上春樹はこのように言っています。

"My goal is to use simple words to tell complicated stories."
非常に簡単な言葉で、非常に複雑な物語を語りたいというのが、僕の目指していることだ。
Japan's Murakami says metaphor more real after 9/11 より


シンプリシティは決して簡単なことではない、むしろ解釈が非常に難しいテーマであると、意識すればするほどそのように思います。

シンプリシティ実現の前提には、目的(複雑なことを伝える、複雑な問題を解決する等)が存在します。これが必要条件。その上で、その問題を解決するための最善の手段(十分条件)としてシンプルであることが求められると理解できます。(よりわかりやすく伝わる、より課題が解決しやすい)

あるいは、複雑な問題そのものにメスを入れる、つまり、よりメタレベルの問題に昇華させるあるいは問題を絞り込む、ということも手段としてのシンプリシティなのかも知れません。

いずれにしても、シンプルであることが必要条件として独り歩きする状況って結構あるな、それは本来とは違うなと。シンプルにしたからと言って、So What?なものって意外と多いように感じます。

最後に、シンプリシティに並々ならぬ拘りを持っていたであろうスティーブ・ジョブズの言葉。ハーバードビジネスレビュー2012年8月号『イノベーション実践論』の記事から(原典は未記載)
ある問題に着目した時に、『シンプルきわまりない』と思ったとしよう。この場合、問題の複雑さを本当に理解しているとはいえない。単純すぎる解決策しか生まれないだろう。問題に深くかかわってみると、実はとても入り組んでいたのだと気づく。それから、手の込んだ解決策のあれこれを考え出すのだ。 
真に偉大な人物は、前進を続けるだろう。そして問題の根底にある本質を掘り起こし、美しくエレガントで、しかも効果的な解決策を考えだす。

シンプリシティ(Simplicity)はシンプルに非ず。

2012年7月4日水曜日

小説を書くこととサービスを立ち上げることの共通点 -『雑文集』(村上春樹)より雑感-


最近、通勤途中とか休日のお茶する時とかに、ちょこちょこと村上春樹の『雑文集』を読んでいます。これ『雑文集』という名の通り、著者がどこかに寄稿したエッセーとか、誰かの本に書いた後書きとか、何かの受賞記念講演とか、ちょっとした雑文が集められたものです。非常に短い文章の集まりなので、細切れな時間とかボーっと流し読みたい時とかにすごく良い。もともと村上春樹のエッセーが好みというのもある。(小説より好きかも)

で、その一つ目の雑文を読んでいて、ふとあることを思ったのでメモ。まずは、『雑文集』より、幾つか引用。
小説家とは何か、と質問されたとき、僕はだいたいいつもこう答えることにしている。「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です」と。
なぜ小説家は多くを観察しなくてはならないのか?多くの正しい観察のないところに多くの正しい描写はありえないからだ(中略)それでは、なぜわずかしか判断を下さないのか?最終的な判断を下すのは常に読者であって、作者ではないからだ。小説家の役割は、下すべき判断をもっとも魅惑的なかたちにして読者にそっと手渡すことにある。
良き物語を作るために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ。
読者はその仮説の集積を自分の中にとりあえずインテイクし、自分のオーダーに従ってもう一度個人的にわかりやすいかたちに並べ替える。その作業はほとんどの場合、自動的に、ほぼ無意識のうちにおこなわれる。僕が言う「判断」とは、つまりその個人的な並べ替え作業のことだ。
仮説の行方を決めるのは読者であり、作者ではない。物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる。

どうでしょうか。

この文章を読んで私が思ったことは、「良い作品を書く小説家と良いサービスを出す者、良い小説と良いサービスには、共通点があるのではないか」ということ。これはサービスだけではなく、製品にも言えることかも知れません。

もしかしたら、このブログでも取り上げている「人間中心のデザイン」(参考記事:人間中心のデザインの原則 -『誰のためのデザイン?』を読んで-)とか「アジャイル」(参考記事:ビジネスにもアジャイルという方法を -誤りや変化を歓迎する方法論-)とか、その辺のキーワードが頭にあるからかも知れません。

観察を重視し、ユーザーと一緒に作る感覚。ビジネスにおいて判断は流石にするんだけども、仮説の積み重ねでローンチし、ユーザーも巻き込んで判断・検証をしていく、つまりローンチがゴールではなく、そこがスタートである点。決して何も考えていないわけでも、ユーザーにおもねっているわけでもなく、そこには確固たる伝えたいメッセージや提供したい価値はある。なんだかすごく共通点がある気がします。

雑感ながら。


やれやれ。

2012年6月22日金曜日

目先・小手先の問題解決にフォーカスしていないか -『Good Product Manager, Bad Product Manager』より-

良い記事を読んだのでご紹介。

ネットスケープ・コミュニケーションズ社の元幹部で、アンドリーセン・ホロウィッツというGroupon/Facebook/Twitter/Foursquareといった名だたるテック企業に投資するVCの共同創業者であるBen Horowitz氏が、かつて(ネットスケープ時代?)書いた『Good Product Manager, Bad Product Manager』という記事。1996年のもののようだけど普遍的な内容のため一読の価値あり。

原文(英語/PDF)はこちらから。


以下、幾つか抜粋(日本語は意訳)。他にも色々なGood/Badの対比が原文にはあります。

・イケてるプロダクトマネジャー(以下、PM)は「What」をくっきり描き出す、ダメなPMは「How」に心頭する
Good product managers crisply define the target, the “what” (as opposed to the “how”) and manage the delivery of the “what”.
Bad product managers feel best about themselves when they figure out “how”.

・イケてるPMはインフォーマルに指示は出さないが、逆に情報収集はインフォーマルに行う
Good product managers don't give direction informally. Good product managers gather information informally.

・イケてるPMはレバレッジをかけられる作業をし、ダメなPMは一日中問い合わせ対応に追われる
Good product managers create collateral, FAQs, presentations, and white papers that can be leveraged.
Bad product managers complain that they spend all day answering questions for the sales force and are swamped. 

・イケてるPMは収益と顧客に、ダメなPMは競合が何をやっているかにチームをフォーカスさせる
Good product managers focus the team on revenue and customers.
Bad product managers focus team on how many features Microsoft is building.

・イケてるPMは問題を分解するが、ダメなPMは問題を一つにまとめる
Good product managers decompose problems.
Bad product managers combine all problems into one.


全般通じて、タイトルにも書いたように、忙しさにかまけて目先の(あるいは小手先の)問題解決にとらわれていないかというチェックリストになりそう。雑務がたまりにたまって肝心なことができない、火消しに追われているということは、何かが根本の部分で間違っている可能性がある。そんな時こそ、目的やゴールに改めて立ち返り、自身が近視眼的になっていないか、大局に立ってものごとを見ることができているか、自問自答する必要がありますね。

急がば回れ。日々の業務に埋もれそうになった時に立ち返る一つの材料として。

2012年6月19日火曜日

制約はイノベーションの母 -名詞ではなく、動詞で考える-


何か画期的なアイデアを出しましょう、これまでにない発想で考えましょう、といった場合に、よくやるのがまずはゼロベースで様々な規制・慣習やリソース(ヒト・カネ)の前提を「取っ払って」議論してみるというやり方です。確かに、本当にその前提は崩せないのか疑ってみる、発想が行き詰った時に一旦大きく考えを振ってみる、といったケースには非常に役立つやり方であると思います。

ただそれと実現性を無視することとは大きく異なります。実際の世界には制約が満ち溢れています。お金がない、時間がない、技術がない、資源がない、などなど。これは無視しようにも無視できません。(一定の工夫はできるでしょうが)

では、この「前提を取っ払って考える」ということの本質は何なのか。

■実際の世界は制約だらけ
実際の世界には制約が満ち溢れている、この代表例がBOP(ボトム・オブ・ピラミッド)の世界かと思います。このBOP市場にイノベーションが生まれえないのかというと、そんなことはありません。一昨年亡くなったC.K. プラハラード教授の著書『ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略』で、一躍BOP市場やそこでのイノベーションに注目が集まりましたが、制約をうまく活用(回避?)したアイデアや、場合によってはその制約があったからこそ先進国では発想できなかったようなイノベーションが生まれています。

このBOP市場における制約を超えるイノベーションの事例は下記の書籍に詳しかったです。ビジュアルも多くて読みやすい。

『なぜデザインが必要なのか――世界を変えるイノベーションの最前線』

『世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある』

一つ目の書籍に掲載されている事例はほぼこちらのサイト(英語)に網羅されているのでご参照ください。

■制約はイノベーションの母
ここで重要なのは、「制約があるからイノベーションが生まれる」のではなく、「制約があるからイノベーションを生む必要がある」という点ではないかと思います。つまり、待っていれば勝手にイノベーションが生まれるのではなく、制約を受け止めそこからプロアクティブにイノベーションを起こそうとしてこそイノベーションは生まれる、ということです。まあ当然のことではあるのですが。

この制約をうまくイノベーションに活かすという考え方、デザイン思考という文脈ですが、IDEOのCEOティム・ブラウンの著書『デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方』でも言及されています。
相反するさまざまな制約を喜んで(特に熱烈に)受け入れることこそ、デザイン思考の基本といえる。多くの場合、重要な制約を見分け、その評価の枠組みを制定するのが、デザインプロセスの最初の段階だ。制約は、成功するアイデアの三つの条件と照らし合わせると理解しやすい。それは、「技術的実現性」(現在またはそう遠くない将来、技術的に実現できるかどうか)、「経済的実現性」(持続可能なビジネス・モデルの一部になるかどうか)、「有用性」(人々にとって合理的で役立つかどうか)の三つだ。

■制約がある中でイノベーションを生むためには
ここで冒頭に言及した、「前提を取っ払って考える」ということの本質、に戻るのですが、制約の中から生み出すイノベーションにおいて非常に重要になることは、「視座を広げる」ということであると思います。これが「前提を取っ払って考える」ということの本質ではないかと。

「視座を広げる」という意味を理解するためには、『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』という書籍に紹介されていた下記の記述が良いヒントになると思います。
当時からIDEOは「名詞ではなく、動詞で考える」デザインを主張していた。モノそれ自体をデザインするのではなく、行動をデザインするという考え方だ。

「名詞ではなく、動詞で考える」とは、例えば、「冷蔵庫」ではなく「貯蔵する」で考えるということであると理解しています。モノそのものをどうするかではなく、そもそもの目的に立ち返って広い視座で問題そのものを考える。例えば、電気の通っていない(あるいは落ちがち)な地域に、ただ超低コストの冷蔵庫を持っていったところで成功するでしょうか。そこには冷蔵庫に代替する何かしらの貯蔵するもの(場合によってはコト、方法かも)が必要になるはずです。

書き終わって気付いたのですが、なんか書籍の紹介エントリみたいになってしまった。。制約が目の前にあった時、「前提を取っ払って考える」ということの本質を見失わない思考が必要だなー、ということでのエントリーでした。

2012年6月7日木曜日

エントロピーとイノベーション -『エコロジー的思考のすすめ―思考の技術』(立花隆)より雑感-


「エントロピー」という言葉をご存じでしょうか。本来は熱力学における用語ですが、平たく言うと(というか平たくしか理解していない、高校大学で習ったはずなんだけど。。)、「無秩序さの度合い」です。詳しくはこちら

先日、立花隆の処女作『エコロジー的思考のすすめ―思考の技術』を読み、この言葉に出会いました。若干脱線すると、本書は超良書。タイトルから想像されるようなHOWTOな内容では全くなく、生態学的ものの見方を組織や経済へも敷衍して論じる内容。初版1971年ですが、全く古くありませんし、当時30歳という立花隆の知の巨人ぶりに我が身を振り返らざるを得ません。

さて、今回はこの「エントロピー(無秩序さの度合い)」についての雑感。

このエントロピーには「エントロピー増大の法則」というものがあるそうです。自然にしかり、生活に当てはめてもしかり、放置しておくとものごとのエントロピーは増大していく(無秩序さが増す)という法則です。身の回りを見てみればわかるように、コーヒーにミルクを入れれば次第にコーヒー中に溶け出していきますし、水は放っておけば蒸発して水蒸気として霧散し、部屋は放っておくと汚く散らかります。

生物に当てはめると、人間が最もエントロピーが低い生物だそうです。また高度な情報ほどエントロピーが低い、つまり人間の文明史は情報のエントロピー減少の歴史であると言います。人間、あるいは人間社会の発展は、統制・管理・集積の歴史、とでも言えるのでしょうか。

では、エントロピーは低ければ低いほどいいのか、社会やものごとは秩序立っていれば秩序立っているほどいいのか。エントロピーが低いということの負の側面として、「適応力がない」「変化に弱い」という点が挙げられるそうです。温室育ちの人間がある日突然体育会系の営業会社に放り込まれた時のことを想像してみてください。

そう考えると、一概にエントロピーを減少させる方向にだけ進む進化を全面的に良しとして良いのか、という疑問が湧いてきます。方向性の決まっている、あるいは今あるものをより良くしていく、高度化していくという中では、エントロピーを減少させる方向での進化が重要。一方、何かドラスティックな変化を生む、ダイナミックな進化を求める、といった場合にはエントロピーを”意図的に”増大させることにも意味がありそうです。このエントリで紹介しましたが、IDEOのティム・ブラウンもデザイン思考の一つのポイントとして、divergence(発散)とconvergence(収束)を行ったり来たりすることの重要性を説いています。

さて、ここで問題なのは、エントロピーを意図的に増大させたい時に、「放って」おけばいいのか、ということ。興味深いのは、組織(あるいは社会・人)は往々にして、放っておくとエントロピーを増大させて無秩序になるどころか、逆に保守化、現状維持の方向にベクトルが向き、エントロピーが減少する(凝り固まる)方向に向かうという点です。まあ「放っておく」の意味合い次第なのですが。

やはりイノベーションを生むためには、”意図的に”無秩序・発散を生む仕掛けをしないといけないのではないか、ということが今回の学び。ただの雑感で全くまとまりがないのですが。